仙台市若林区の診療所  あゆみホームクリニック仙台 【訪問診療・往診・予防接種】
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 第247話 伝えたい曲
投稿:院長

今月、NHKで2018年にお亡くなりになった西城秀樹さん特番が放送され、オンデマンドで懐かしく視聴しています。


西條秀樹さんは1972年に歌手としてデビューし、来年2022年はデビュー50周年にあたります。ということで、私の人生は西條さんが歌手活動した期間と重なっており、私にとって思い入れのある歌手なのです。


西條秀樹さんといえば、長身と抜群のルックスで、情熱的にラブソングを歌いあげることから多くの女性ファンの心を掴んだと思いますが、子供の頃、テレビの歌番組やCMで毎日のように目にしていたので、今思えば、お茶の間にある調味料のような当たり前の存在だったと思います(実家では茶の間で食事を食べるのが基本でした)。


特番では、デビュー当時からの歌番組、ライブでのステージや、ドラマでの演技の様子が余すことなく放送され、歌詞の一句一句を情熱的にかつ丁寧に歌い上げる歌唱力、観客と一体となった演出、スタイリッシュな衣装、ファンに語りかける絶妙な話術、親しみやすい雰囲気がとても印象的で、あらためて日本の歌謡界が生んだ最大級のエンターテイナーと思いました。


40台後半から、幾度となく脳梗塞を発症し、不自由になっていく身体と闘いながら、デビュー50周年に向かて懸命にリハビリに取り組まれていたと言います。


若かりし頃のエネルギッシュなステージを知る私は、晩年の様子を心が締め付けられるような思いで見つめていました。


西城秀樹さんの最も代表的な曲と言えば「ヤングマン」ですが、50歳を過ぎ、訪問診療でさまざまな人生に関わる私にとって最も心に染みる曲は「ブルースカイブルー」です。


この曲は、西條さんの葬儀で出棺の時に会場に流された曲で、皆に別れを告げるかのような歌声に今も涙が止まらなくなります。


あのひとの 指にからんでいた

ゴールドの指輪を ひきぬき

このぼくとともに 歩いてと

無茶をいった あの日

おそれなど まるで感じないで

はげしさが 愛と信じた

立ちどまることも 許さずに

傷をつけた あの日

ふり向けば あの時の

目にしみる 空の青さ思う

悲しみの旅立ちに まぶし過ぎた空思い出した


いたずらで 人を泣かせるなと

大人から頬を 打たれた

あのひとも 遠く連れ去られ

愛が消えた あの日

少しだけ 時が行き

もう過去といえる 恋の日々を

青空が 連れて来た

もう二度と逢えぬ あのひとだろう

ふり向けば あの時の

目にしみる 空の青さ思う

悲しみの旅立ちに まぶし過ぎた空思い出した

青空よ 心を伝えてよ

悲しみは 余りにも大きい

青空よ 遠い人に伝えて さよならと


どんなに大切な人でも、いつか必ず別れはやってくる。


そんな時、どこまでも透き通った青空に向かって思いっきり泣いてみたい人、おもいっきり叫んでみたい人に是非聴いてもらいたい曲です。


歳を取ると涙もろくなっていけないなぁ・・・。


2021年10月12日(火)

 第246話 枝豆の味は・・・。
投稿:院長

職員のお父さんは、体に障害を抱えていますが、畑で収穫した野菜を知人にプレゼントする優しいお父さんです。


ある日、この職員との雑談の中で「父から、枝豆の収穫をするので畑仕事を手伝ってほしいと頼まれているんですが、なんとなく先延ばしにしているんです」と言われた私は、「早く行って親孝行してあげなさい。お父さん絶対に喜ぶから!」と返答しました。


それから毎日、院長から「畑に行くんだぞ!」と耳にマメ・・・じゃなくてタコができるくらいうるさく言われ続けた職員は、ついに「昨日、父と畑に行ってきました!」と無農薬で育った立派な枝豆を持ってきてくれました。


私が小学校の頃、亡くなった祖父から「一緒に畑に行こう」と誘われていたのに先延ばしにしてしまい、ついに実現できなかった苦い思い出があるので、この職員が親孝行できたことを心から嬉しく思いました。


「親孝行はできる時に行う」ことが大切で、そのタイミングは様々な条件が揃ってはじめて実現できたりします。


今回の畑仕事も、

「一人で収穫するには体力的にきつくなってきた」「立派に育った枝豆を皆に楽しんでもらいたい」「10月になり涼しくなり気候が安定してきた」「食欲と体力のあり余っている子供と一緒に収穫したい」「子供が親孝行しろと口うるさい院長のもとで働いている」という気持ちや条件が揃って実現できたのです。


きっとこの職員は、お父さんと畑で過ごした貴重な時間が大切な思い出となるに違いありません。


実は、私の出身地、新潟県長岡市は枝豆の産地で、茹でた枝豆をざるや皿に山盛りにして食卓に並べたり、家族で長岡花火を観覧するのが基本です。


「枝豆の味は家族の味」


在りし日の自分の家族を感じながら、ざる盛りの枝豆を楽しもうと思います。


そして職員には、これからも畑で親子の絆をどんどん栽培してほしいと感じています。


2021年10月6日(水)

 第245話 孫のような存在
投稿:院長

人の痛み、命、死は、人称性という視点で考えると理解しやすくなります。


例えば、痛みというのは、本人だけが感じるものであり、他人が直接感じることはできません。これを「一人称の痛み」と表現します。一人称というのは自分自身であり、今どのようなことを感じ、考えているのかすべて自分自身の視点で表現されます。


痛みを感じている本人の一番身近な存在(家族など)は、本人の痛みを直接感じることはできませんが、理解することができます。これを「二人称の痛み」と表現します。ここで言う二人称とは、一番身近な立場の人が、愛する人に何を感じ、どう考えて何をしてあげたいのかという視点で表現されます。


一方、全く他人であれば、本人の痛みに対して無関心だったり、知識があったとしても通常はそれを深く感じて献身的に行動するようなことは極めてまれです。これを「三人称の痛み」と表現します。


ノンフィクション作家の柳田邦男さんは、医療者が患者に対してあるべき関係性をこの人称性を使って表現しています。


医療者には、患者に対して自分の家族に寄り添うような二人称の視点が求められますが、思い入れが強くなり過ぎると冷静な判断ができなくなります。一方、医療者には、患者さんの状態を冷静に分析し判断する専門家としての三人称の視点が求められますが、あまりに客観的すぎると、患者さんの思いを診療に反映させるのが難しくなります。そこで柳田さんは、医療者は、患者さんに対して家族のような温かさと、専門家としての知識と技術をバランス良く兼ね備えている「2.5人称の視点」を提唱しています。


私自身、「病院の中でできないことを実現する」ことを診療の目標の一つとして掲げていますが、訪問診療では、2.5人称よりもう少し家族寄りの2.3〜2.4人称の視点を意識しています。


話が変わりますが、当クリニックでは、地域の様々な訪問看護ステーションと連携しながら診療していますが、患者さんの孫の年齢にあたるような若い看護師さんと接する機会が増えました。


ある研究では、高齢者の生きがいの構成要素に孫との交流が挙げられ、孫のいる高齢者のほうが孫のいない高齢者よりも主観的健康感が高いという結果が示されており、孫の存在は、「無限に未来に伸びる自分自身の延長」として気持ちの安定を取り戻す要因の一つとされています。


診療で、若い訪問看護師さんが高齢者に対して献身的に看護している光景を見るたびに微笑ましくなり、つい「孫みたいだな〜」が口癖のようになってしまいました(中には、娘みたいだな〜と感じるベテランも大勢います!)。


若い看護師さんが、患者さんにとって孫の「2親等」のような安心できる存在として大活躍してくれたら・・・と感じています。 


2021年10月1日(金)

 第244話 悠久の時間
投稿:院長

大正生まれのTさんが、1ヶ月の入院生活を経て我が家に退院してきました。


私達は、退院日に合わせてTさんのご自宅を訪問し、初めての診察を行いました。


Tさんは、とても穏やかに私達を迎えてくれました。その柔和な表情は、入院中に食欲が落ちて今も点滴していたとは思えないほどでした。


Tさんの部屋を見渡すと、ベッドの脇には仏壇が置かれ、亡くなったご主人の写真が飾られていました。その優しい表情は、Tさんの退院を心待ちにしているかのようです。


その光景を見た私は、なぜ自宅には不思議な魅力があるのか、最近読んだエッセイを思い出していました。以下は、エッセイ「歌よみの眼」(馬場あき子作)から抜粋したものです。


いなかに百一歳の叔母がいる。いなかは奥会津である。若い日にや山羊を飼って乳などを搾っていたので、山羊小母(めんこばんば)(以下叔母)と呼ばれている。

戦後六十年以上たって農村はまるで変わったが、家だけはまだ今も残っていて、叔母はこの家に一人で住んでいた。(中略)

ほとんどがらんどうの空間の中に平然として小さくちんまりと座っている。「さびしくないの」ときいてみると、なんともユニークな答えが返ってきた。「なあんもさびしかないよ。この家にはいっぱいご先祖様がいて、毎日守ってくださるんだ。お仏壇にはお経はあげないけれど、その日にあったことはみんな話しているよ」というわけである。

家の中はほの暗い隅々にはたくさんの祖霊が住んでいて、いまやけっこうな大家族なのだという。それはどこか怖いような夜に思えるが、長く生きてたくさんの人の死を看取ったり、一生という運命をみとどけてきた叔母にとっては温とい(ぬくとい)思い出の影がそのへんにいっぱいに漂っているようなもので、かえって安らかなのである。

私のような都会育ちのものは、どうかすると人間が持っている時間というものを忘れて、えたいのしれない時間に追いまわされてあせっているのだが、叔母の意識にある人間の時間はもっと長く、前代、前々代にさかのぼる広さがあって、そしてその時間を受け継いでいる今の時間なのだ。(中略)

村の古いなじみの家の一軒一軒にある時間、それは川の流れのようにあっさりしたものではなく、そこに生きた人間の顔や、姿や、生きた物語とともに伝えられてきたものである。(中略)

命を継ぎ、命を継ぐ、そして列伝のように語り伝えられる長い時間の中に存在するからこそ安らかなのだということを、私は長く忘れていた。(中略)

折ふしにこの叔母たちがもっている安らかな時間のことが思われる。それはもう、昔語りの域に入りそうな伝説的時間になってしまったのだろうか。


Tさんのご自宅は、このエッセイの中にあるような田舎の古い家ではなく、仙台市内のマンションですが、Tさんの仏壇のある部屋は、先祖から受け継ぎ、亡くなったご主人とともに歩んできた時を感じさせてくれます。


このエッセイには、昔語りの域に入りそうな伝説的時間とありますが、訪問診療を通してけして伝説的なものではなく、今もたくさんの家庭に息づいているように思えてなりません。


それにしても、Tさんの息子さんは、写真で微笑むご主人にそっくりでした。Tさんは息子さんを通して、長く受け継がれてきた時間を感じているのかもしれません。


私自身、「心霊を怖いと思わなくなるのはいつのことだろうか?(笑)」そんなことを感じながら、得体の知れない時間に追いかけられている毎日です。 


2021年9月24日(金)

 第243話 せっかくの精神
投稿:院長

最年少で将棋のメジャータイトル3冠を獲得したプロ棋士の藤井聡太さんに注目しています。


まだ若いのに、けして奢らず、常に謙虚で努力する姿勢が素晴らしいですね。


彼が初タイトルを獲得したのは、昨年コロナの流行でしばらく公式戦が中断した後でした。この期間中、じっくりと自分の将棋に向き合い、自分の将棋を整理するための時間に使ったそうで、ピンチを見事にチャンスに変えたのです。


オリンピックのマラソンで2大会連続のメダルを獲得した有森裕子さんは、彼女を指導した小出義雄監督がお亡くなりになった時、小出監督から受けた心に残る教えをこう振り返っています。


「私、故障ばかりで。故障すると、『有森、なんで?と思うな。“せっかく”と思え。意味のないことなんてなにもないんだ。どんなことが起きてもせっかくと思え』と。どんなことが起きてもせっかくと思えたから、どれだけ故障しても立ち向かえた。ちゃんと向き合ってくれたことに感謝しかありません」


患者さんの中には、食事が十分でなく経管栄養や静脈栄養を受けたまま紹介される方がいますが、トラブルで栄養のチューブや点滴のルートが閉塞したり、外れたりすることがあります。


そんな時、「せっかく外れたのだから、もうすこし頑張って食べてみよう」としばらく様子を見ていると、食事量が増えて人工栄養が必要なくなった方もいます。


ちなみに、今年の夏、クリニックのクーラーが故障していることが判明したのですが、コロナの流行下、すべての窓を常に開け続けて風通しの良い(生ぬるいですが・・・)環境で過ごすことができました。


「なんで故障したんだ!」って思わなくて良かった(笑)。


世の中、予期せぬ出来事の連続ですが、失敗してもうまくいかなくても、「せっかくの精神」で、汗をかいて努力した先に、何か良いことが待っているかもしれません。


せっかく人間に生まれたんだもの・・・。 


2021年9月19日(日)

 第242話 時間をかけても大丈夫
投稿:院長

当院では、朝会で職員が持ち回りで1分間のスピーチを行っています。テーマは自由で、最近の出来事や感じたことを皆の前で話をします。


先週の職員のスピーチでのことです。


この職員が小学校の頃、障害を持つ同級生がいて、日頃から彼女のために献身的に手助けしていたそうです。


ある日、彼女の母親から「いつも親切にありがとう。でも一人でできることはやらせてあげてね」と話がありました。


最初は、自分が思いやりの気持ちで手助けしてきたことを、どうして否定されるのだろうと悲しい思いをしたのですが、この仕事に携わるようになってから、母親があの時に話してくれたことを深く理解できるようになったそうです。


医療介護従事者は、障害を持つ人に対して「何か手助けしたい」という思いから、様々なサービスを提供しますが、サービスが充実することと患者さんの満足度は必ずしも一致しないことがあります。


誰しも年齢を重ねると、若い時に比べて物事を迅速、効率的に進められなくなります。しかし、時間をかければできることがたくさんあります。

例えば、市民ランナーは、歳を重ねると若い時に出した自己ベストタイムに遠く及ばなくなってきます。しかし、ゆっくり走ればまだフルマラソンを完走できるし、それ以上の距離だって走ることができるのです。


それを、ゴールするまで時間はかかるし苦労するだろうからと、ランナーを強制的に車に乗せてゴールまでたどり着いても何の喜びも達成感もないのです。


人はどんな年令になっても、心のどこかに「何か家族や社会の役に立ちたい」、「自分のことは自分でやり遂げたい」という気持ちを持ち続けています。


一人暮らしで寂しいだろうからと、楽しめないデーサービスを無理に勧めたりはしていないだろうか?

まだできるのに、洗濯物の整頓を肩代わりしていないだろうか?

まだできるのに、食器の後片付けを肩代わりしていないだろうか?

まだできるのに、トイレ歩行を禁止していないだろうか?


お年寄りや障害者に対して、温かい目でじっくりと見守る姿勢を心がけたいものです。


それにしても、この職員が、数十年という長〜い時間をかけて、本当の思いやりを理解できるようになったのは素晴らしいことです。


私自身、「おせっか医」だと言われないように注意したいと思います。 


2021年9月13日(月)

 第241話 果報は・・・。
投稿:院長

お年寄りは、いつまで長生きしたいのか、目標は人それぞれですが、孫の成長を基準にすることが少なくありません。


「孫が生まれるまで」、「孫のランドセル姿を見るまで」、「孫が成人式を迎えるまで」、「孫が結婚するまで」、「ひ孫ができるまで」・・・・。


ところが、「成人式を迎えるまで」は、あと何年後なのか目標がはっきりしているのですが、「結婚する・・・」から後は、すぐにやってくることもあるし、なかなかやってこないということもあり、はっきりしません。


ある90歳台の女性Tさんの自宅を訪問した時のことです。

Tさんは、足腰が衰えて車椅子が欠かせなくなってしまいましたが、頭はとても冴えています。


成人を過ぎたお孫さん(女性です)の話題になり、私が「お孫さんが結婚式を挙げるまで元気でいましょう!」と話したところ、Tさんは、「あれは男っ気がまるでねぇからね。もう結婚なんてだめだべ!」と衝撃の分析結果が返ってきて、一同大笑いしました(Tさんのお孫さん、大変失礼しました)。


別の日に、採血結果をTさんにお知らせた時のことです。HbA1c(血糖値の推移の指標)が以前より上昇しており、この結果を見たTさんは、「あらま、運動が足りないんだべか?」とその原因を冷静に分析されました。


最近は弱気な言葉も聞かれるようになったTさんですが、まだまだ生きる気力が失われていないことに安堵しました。


Tさんが「果報は運動して待て」を実践しているうちに、お孫さんから良い報告がありますように・・・・。 


2021年9月7日(火)

 第240話 在宅医療をきっかけにする
投稿:院長

患者さんの中には、今まで治療を受けていた総合病院から紹介を受けて、在宅医療を受ける方もいます。


しかし、「今までの主治医から見放されてしまった」とか、「総合病院から離れるのが心配」とか、「家族が支えていけるのか不安」などとネガティブに考えてしまう場合があります。


そんな時、私がお伝えするのは、「在宅医療をきっかけにする」「病院ではできないことを実現する」ということです。


もちろん、在宅医療では病院のように高度な医療機器や多くの人員を備えているわけではなく、その点では見劣りするかもしれませんが、むしろ自宅でしか実現できないこともたくさんあるのです。


●自宅の良さを再認識できる                            自宅という空間が自分にとっていかに大切なのか再認識する“きっかけ”になります。特に先祖代々からの家や、自分で建てた家なら、なおさら愛着があるものです。 

●家族の良さを再認識できる                           実家から離れた子供たちが患者さんのもとに集まり、しばらくできなかった家族の会話ができるようになり、家族の絆を再認識する“きっかけ”になります。

●薬を一元化できる                                今まで複数の診療科から数多くの薬剤を処方されていた場合は、訪問薬剤師と協力しながら薬剤の管理を一元化し、必要な薬剤のみに整理できる“きっかけ”になります。薬の内容を見直したり整理することで体調が回復する人もいるのです。

●相談窓口が増える                                在宅医療では、自宅を訪問するのは医師だけではありません。訪問看護師や薬剤師、ケアマネージャー、介護士と連携していますので、数多くの支援者(応援部隊)と出会う“きっかけ”になり、困ったときに気軽に相談できる窓口が増えるのです。

●恩返しができる                                  患者さんの大好物を作ってあげたり、語り合ったり、体を擦ったり、体を拭いたり、今までなかなかできなかったスキンシップができるチャンスなのです。今まで家族のために尽くしてくれた恩に対して、“病院ではできない”自分なりの「倍恩返し」をしましょう!

●自分のペースで生活できる                           病院のように、日々のスケジュールが決まっているわけでなく、午後6時に寝ることも(笑)、夜ふかしすることもできるし、食事に時間がかかっても配膳が取り下げられることはありません!他の患者さんに気兼ねすることなく、時代劇を見たり、楽天イーグルスを応援したり、大好きな氷川きよしの歌を聴いたり、自慢の庭に咲いたバラの花を眺めたり、“病院ではできない”自分のペースで生活することができます。

●制約が緩い                                  病院では、少しでも危険を回避することが優先されるので、誤嚥を起こしやすい人は食事制限を受けたり、転倒しやすい人はトイレ歩行が禁止されることがありますが、自力で食べたりトイレ歩行することで患者さんの自尊心や尊厳が保たれている場合は、家族の介護負担や安全対策を考慮しながら、可能な限り本人の希望が叶えられるように“病院ではできない”を支援していきます。

●会いたい人に面会できる                            感染対策はきちんと行う必要がありますが、“面会が禁止された病院ではできない”大切な人との面会ができます。もちろん会いたくない人には、門前払いもできます!


以上、病院を引き合いに出して在宅医療の良さをアピールしましたが、その一方で、病院には在宅医療にはない良さがあります。在宅医療と病院医療は対極にあるわけではなく、互いに協力して補い合っていくパートナーなのです。しかも、在宅医療が開始されると紹介元の病院と縁が切れてしまうわけではありません。病状が悪化したり、患者さんが希望すれば、必要な情報をやりとりしながら病院で診察を受けることができるし、在宅医療で病状が回復して身の回りのことができるようになったら、再び外来に通院することも可能なのです。


在宅医療の中で、それぞれの患者さんに対して何ができるのか一緒に考えて行きましょう! 


2021年8月30日(月)

 第239話 大切な人のために
投稿:院長

理想の職業と言えるものは、「やりがいや誇りを感じる」、「人の役に立つ」、「自分の経験やスキルを活かせる」・・・・などいろいろと考えられますが、自分の大切な人に自分の培ったスキルを還元できたとしたらとても素晴らしいことだと思います。


ある患者さんは、痰が多く、スタッフが口腔ケアや喀痰吸引を行おうとしても頑として受け入れず、対応に苦慮していました。


そんな中、歯科衛生士である娘さんが、毎日自宅を訪れて、患者さんの口腔ケアや痰の喀出を促してくれるようになりました。


ある日、患者さんのご自宅を訪れた際に、その場面を偶然拝見する機会がありました。

「パパ、頑張って!」

自分の父親に対して厳しくも愛情あふれる様子で接している姿がとても印象的でした。


スタッフに対して拒絶する態度を見せている患者さんも、「娘が言うなら仕方ないか」といった表情で口腔ケアを受けられていました。


私は、

「自分のスキルを親に活かせるなんてとても素晴らしいですね!私なんか、親が新潟にいるものだからそんな風に接してやれなくて親不孝なんです。とても羨ましいです。今日はとてもいい光景を見せていただきました」とお伝えし、ほのぼのとした雰囲気の中、患者さんのご自宅を後にしました。


その日の夜、新潟の母に電話しました。

「あっオレオレ、元気にしてる?」(まるでオレオレ詐欺の出だしの口調のようになってしまう悪い癖・・・)


週に1回、母との電話健康相談が親不孝のせめてもの罪滅ぼしになっています。 


2021年8月24日(火)

 第238話 おじさん、オズの魔法使いを読む
投稿:院長

オズの魔法使いの原作の一部を読む機会があったので、その感想を記したいと思います。


主人公の12歳の女の子ドロシーと飼い犬のトトは、ある日竜巻に巻き込まれ、家ごとオズの国に飛ばされてしまいました。そこへ北の魔女がやって来て、「銀の靴」を授けてくれます。さらに、カンザス州に戻る唯一の方法は、「エメラルドの都」にいるオズの魔法使いに頼むことだと教えてくれました。


そうしてドロシーとトトは旅に出ますが、道中で「脳を望むかかし」「心を望むブリキのきこり」「勇気を望むライオン」と出会い、彼らもオズの魔法使いに願いを叶えてもらおうと、一緒に「エメラルドの都」に向かいます。


ドロシーたちは、予期せぬ出来事に遭遇しながら何とかオズの魔法使いのもとにたどり着きますが、実は彼は魔法使いではなく、ただの平凡な老人でした。


しかし、脳を望むかかしにこう伝えます。

「何かを毎日学んでいる君には必要はないよ。経験が知識をもたらす唯一の方法だ。この地上にいれば、君はより多くの経験を得るはずだ」


勇気を望むライオンにはこう伝えます。

「君にはたくさんの勇気がある。自信を持つことだ。怖がらない生き物はいない。真の勇気は、怖い時に危険に直面する中にある。君にはそのような勇気をたっぷりと持っている」


心を望むブリキにはこう伝えます。

「君はすばらしい心を持っている。欠けているものは人からの感謝だ。どれだけ愛するかじゃなくて、どれだけ人から愛されるかが大事なのだ

そして、ドロシー。旅の途中で出会った南の良い魔女から、ドロシーの履いている「銀の靴」こそが、願いを叶えてくれるものだと教えられます

ドロシーがかかとを3回打ち鳴らして願いを口にすると、彼女の周りの景色はカンザス州の自宅の近くに変わっていました。

オズの魔法使いには、作者のライマン・フランク・ボームによっていろいろなテーマが盛り込まれていると思いますが、その中で特に感じたのが、自分にはないと思い込み、それぞれが長い間求めていたものは、すでに全員に備わっていたということです。しかも、かかしもライオンもブリキも、自分にないことを嘆いていただけでなく、それを補おうと日々努力していたのです。そして、ドロシーが求めていたものはカンザスの自分の家に帰ることでした。しかし、最初から自宅へ導くことができる「銀の靴」の魔法の力を知っていたら、素敵な仲間との出会いや友情、そして様々な苦難を乗り越えることによって得た彼女の成長もなかったことでしょう。そして彼女は、我が家の大切さを教えてくれます。There is no place like home.(我が家にまさるところはないのよ)


子供の頃に、次はどんな展開が待っているのか、純粋に楽しみながらドキドキしてこの物語を読んだのですが、この歳になって、在宅医療に結びつくような教訓を探しながら読む変な癖がついてしまいました。


私に足りないものは、次はどんな展開が待っているのかドキドキするような純粋な遊び心なのかもしれません。えっ、すでに備わっている?


2021年8月17日(火)

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