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投稿:星野 |
柔道オリンピック金メダリストの古賀稔彦さんの訃報を聞き、これからも指導者として活躍されていくと思っていたのでとても残念です。
古賀さんは、私と同い年でサッカーの三浦知良選手と共に同世代のスターです。
古賀さんを一言で言い表すなら、「強くてカッコよくて優しい」。
先日の河北新報の「河北春秋」に記載されていた記事を抜粋します。
古賀さんは指導している子供たちに語り掛けます。
みんなはなぜ柔道をするんですか?『オリンピックに出るため』『金メダルを取るため』。そういう答えもいいけれど、もう一つ、こう答えてほしい。『優しい人になるためです』
これは、スポーツをしたり、仕事をしたり、人のあらゆる活動に共通していることだと思います。
自分達の利益や功名心を追求するだけではきっと限界がある。
しかし、「支えてくれる人に恩返ししたい」「お客さんを喜ばせたい」「地域や社会の役に立ちたい」という気持ちは、人に不思議な力を与えてくれるに違いない。
訪問診療の仕事も同じことが言えます。
私は、もはや古賀さんのような強くてカッコいい人にはなれませんが、この活動を通じて、古賀さんのような優しい人になりたいと思っています。 |
2021年3月29日(月) |
第217話 生活者の視点 |
投稿:星野 |
患者さんの中に、入院先の病院の生活に馴染めず、半ば強制退院となった方がいました。
ある病気のために入院し、後遺症が残ったため継続的にリハビリが必要でしたが、医師や看護師の指示に従わなかったというのがその理由です。
入院先の病院では、この患者さんの対応に苦労し、当院に送られてきた事前情報にも患者さんの入院中の言動が記載されており、初めて自宅を訪問した時は、少し緊張しながら診察を行いました。
しかし、診察を重ねて患者さんの考え方、行動哲学を知るにつれて、病院での言動にはきちんとした理由があったことを知りました。
それは、認知症の妻を残し長期間の入院生活が出来なかったのです。
「妻や自分自身の体の事を一番よく知っているのは自分だ」 「自分には妻を介護する責任がある」 「自分には自分自身の体を手入れする責任がある」 という強い信念で、妻の介護を行いながら在宅リハビリに取り組んだ結果、今では車椅子から立ち上がり、自宅の中をゆっくり歩けるようになりました。
この自己責任という考え方は、子供たちの自主性にも及び、子供たちに「勉強しなさい!と言ったことは一度もない」のだそうです。
私にとって耳が痛い言葉です(笑)。
医師や看護師の指示に従うか従わないかで患者さんの良し悪しを決めてしまうのは病院の中の理屈です。
このような患者さんを生活者の視点から見ることにより、全く別な人物像になってしまうことを知りました。
自分自身に対して、「患者さんを通して勉強しなさい!」と心の中で語り掛ける毎日です。 |
2021年3月23日(火) |
第216話 震災から10年 |
投稿:星野 |
3月11日、東日本大震災から10年を迎え、各地で追悼行事が開かれました。
私自身は、勤務のために深く振り返ることはできませんでしたが、地震が起きた時間に合わせて往診車を止めて職員と黙とうを捧げました。
受け持っている患者さんの中には、津波で家を流された方、親族を亡くしたという方もいらっしゃいますが、その多くは、自ら震災の体験を語ることはなく、診察での話の流れの中で初めてそれを知ることが多いです。
そのようなご家族に一様に言えることは、過去の辛い経験を乗り越え、家族の強い絆の中で前向きに生きていらっしゃるということです。
患者さんの中には亡くなった方もいらっしゃいますが、亡くなるまでの間、家族との時間を大切に過ごし、お別れの言葉を交わし旅立たれました。
この10年、患者さんの診療を通して感じることは、「震災は人の絆を強くしたのではないだろうか」ということです。
それは、家族にとどまらず、この地域全体にも言えることです。
それに比べて、別れの言葉を何も交わさないまま、突然家族を失う悲しみはどれほどのものでしょう。
「あの時、言葉を掛けてやれなかった」、「自分の気持ちを伝えられなかった」
そう感じながら後悔して過ごしている方は少なくありません。
でも、心の中で繰り返し本当の気持ちを伝えましょう。きっと天国にいる最愛の人に届くでしょう。
今、私たちにできることは、自分の大切な人とかけがえのない時間を大切に過ごすことだと改めて感じています。そして3月11日は、それを強く思う日になり続けるでしょう。 |
2021年3月15日(月) |
第215話 寝るおばあさんは・・・。 |
投稿:星野 |
在宅医療には、「老衰で食欲がなくなってきて残り少ない命」という事前情報で病院から紹介になる患者さんがいます。
しかし、そのような方でも、食事摂取ができるような環境を作ったり、薬剤を減らしたり見直したり、原因になっている苦痛を治療したりすることで、経験上、半数以上の方が食欲を回復します。
以前にも書いたように、ラコールという栄養剤を処方し、食事と併用することが多いのですが、これを1パック(200kcal)飲めるようになれば、ほとんどの方が食事量が増えたり、維持出来たりします。
ある高齢の女性は、体重がみるみる低下し寝たきりの生活となったのですが、ラコールを飲み始めて2週間ほどで食事量が増えはじめ、その後、体重が5s増加し、今では以前のように座ることも、しっかり話をすることもできるようになりました。
これを目の当たりにしたご家族も介護スタッフも「年をとっても成長するんだね!」とびっくりです。
若い女性は、体重が増えないようにダイエットしたりするのですが、中年になってくると体重を気にしなくなり(笑)、体が肥えたまま老年期を迎える方が多いです。
しかし、お年寄り、特に後期高齢者にとっては、体重増加よりも体重減少の方が危険で、それはサルコペニアといって筋肉量が減少し、心身の活動性低下の大きな要因となってしまうのです。
よく食べ、よく遊び、よく寝る子供を「寝る子は育つ」などと表現しますが、先ほどのおばあさんも、よく食べ、よくリハビリし、よく寝るという子供の頃のような生活スタイルになり、見事復活を果たしました。
在宅医療では、「寝るおばあさんも育つ」「寝るおじいさんも育つ」が実現できるように手助けしていきたいと思います。
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2021年3月10日(水) |
第214話 体調の記録 |
投稿:星野 |
患者さんの中に、自分で健康手帳を記載している方がいらっしゃいます。
そこには、その日の体調はもちろん、血圧、脈拍、体温、排便、服薬状況などが克明に記載されています。
あとで読み返した時に、自分では気付かなかったような体調維持の秘訣がそこに隠されていたりするので、一緒に記録を見ながらアドバイスするようにしています。
インスリンを打っているある糖尿病の患者さんは、血糖を自分で測定し記録していますが、週に1回だけ血糖が上昇する時があり本人に聞いてみたところ、曜日を決めてお菓子を楽しんでいるとの本音が明かされました。
また、中には医師のアドバイスを記録している患者さんもいて、ある心不全の患者さんは通常の食事以外の飲水を600mlまでとしていたのですが、健康手帳では「1000mlまで飲んでよいとアドバイスされた」と“水増し”して記録されていました(笑)。
このような場合、専門外来では医者と患者さんとの間で緊張感が生まれるのでしょうが、在宅医療では和やかな雰囲気を崩さないように、できるだけ患者さんの生きがいや楽しみとの間で折り合いをつけることが大切だと考えています。
また、ある患者さんのご家族には、カレンダーの日付に〇や◎を書き込んでいる方がいて、その意味を聞いてみたところ、〇は普通に便があった日、◎は良い形の便が大量にあった日を示していると教えて下さいました。排便のすっきり感を◎で表現されていることを知り、カレンダーの“便利な”使い方にこちらも楽しくなりました。
一日一日をすっきりと◎の気分で過ごせるような在宅医療の形を、皆で一緒に作っていきたいと思います。 |
2021年3月4日(木) |
第213話 スーパー95歳! |
投稿:星野 |
以前、95歳の患者さんの生活ぶりに立て続けに驚かされることがありました。
高齢者の食事の定番と言えば、ごはんとみそ汁ですが、ある患者さんの大好物はなんとピザ。 食べる前に小さく刻んでいるのだろうと思って家族に聞いてみたところ、今でもしっかり嚙みちぎって食べているとのことのびっくりしました。 私が知る中で、ピザをむしゃむしゃ食べることのできる初めての95歳です。
歩行スピードは寿命と関連していることが知られていますが、マンションに一人で住む患者さんは、マンションの長い渡り廊下を歩くのが日課です。 足の骨折で手術をして以来、暑い日も、寒い日も、風の強い日も、毎日毎日この廊下でリハビリをした結果、今ではしっかり歩くことができるようになりました。ところでよく見ると、右手に持っている杖の先端は床に全くついていません!
私が知る中で、杖を浮かしながらスタスタ歩く初めての95歳です。
歳をとってくると、手の細かい動きが不自由になり、体の手入れが行き届かなくなってしまうのですが、ある患者さんは、今でも体の隅々までセルフケアをしています。 その中でも得意なのがウオノメの処置。 専用の絆創膏を貼って、柔らかくなった皮膚の表面を上手に削り取ります。しかし、削り取っても削り取っても、そのたびにウオノメが復活するのでケアにも根気が必要のようです。
患者さん曰く、「ウオノメの頑固なところは自分に似たんだなぁ」
私が知る中で、ウオノメを器用に削り取ることのできる初めての95歳です。
ある患者さんは、今でもご主人と一緒に入浴しています。 そして、毎日毎日、体の隅々までご主人に洗ってもらっています。 ちなみに「ご主人の体を洗ってあげているのですか?」と聞いてみたのですが、「旦那のは、一人で洗わせてる」との答えが返ってきました。 私が知る中で、夫婦で仲良く一緒に入浴している初めての95歳です。
元気溌剌とした95歳の皆さん、この調子で一層元気な96歳の誕生日をお迎えください! |
2021年2月23日(火) |
第212話 白衣を着ない理由 |
投稿:星野 |
訪問診療の仕事では、めったに白衣を着ることはありません。
今まで、数多くの訪問診療の中で、白衣を着ないことで患者さんから注意を受けたことは過去に一度だけで、それも白衣を着ていないと医者と信じてもらえなかったからです。 訪問診療で白衣を着るか着ないかさまざまな意見があり、医者としての立場にけじめをつけるためとか、医師と患者の距離感を大切にするために白衣を着るという医師もいます。
しかし、私としてはそれぞれのポリシーや立場を尊重すればよく、これについて取り立てて議論する必要はないと思っています。
私の立場としては、患者さんや家族の健康や生活上の相談役や、良き話し相手のような役割を果たしたいと考えているので、医師としての役割を果たしつつ、一人の人として“普段着のまま”患者さんの自宅を訪問したいと考えています。
ところが以前、ある患者さんを訪問した時、患者さんから「最近、膝が痛むんです。どうしたらよいか医者に聞いてもらえますか?」と質問を受けたことがありました(笑)。
患者さんに自分が医者と認識されていないことが分かってしまったのですが、それでも「分かりました。医者に相談しておきますね」と返答し、あえて自分が医者だと堅苦しい説明はしませんでした。
ということで、次回の訪問では、久しぶりの白衣姿で一人二役を演じるのか、ただ今思案中です。 |
2021年2月15日(月) |
第211話 老人施設での禁句 |
投稿:星野 |
老人施設では、入所者の帰宅願望による言動に対応しなくてはならない時があります。
そのような場合、入所者は「家に帰る」と言って落ち着きが無くなり、時には外出しようとするので、職員は注意を払いながら話を聞いてなだめたり、時には一緒に外を歩いたりして対応しています。
したがって、診察では自宅を思い出すような会話は厳禁です。
ある患者さんの部屋には、自分が嫁入りいた時の古いタンスが置いてあったのですが、患者さんにうっかりそのことを聞いたら、「家に帰りたい」と言い始めて失敗したことがありました。
また、ある患者さんは、昔の仕事のことについて聞いたら、「仕事に行く」を言って身支度を始めて失敗したこともあります。
さらに、秋田出身の別な患者さんに対して「秋田は今頃雪が深いでしょうね。雪は好きですか?」とうっかり聞いてしまい、職員の表情が曇ってしまったことがあります。
私も内心、「失敗した」と感じて、どんな答えが返ってくるのか固唾を飲んでいたら、「雪は嫌いです」
私は「そうですか!私も雪が嫌いです。今はここにいれば雪かきする必要もないので安心ですね」と何とかその場を取り繕うことができました。
患者さんが「秋田の雪が大好きです」ということにならなくて良かった・・・。
私の頭の中では、あきたこまち、ハタハタ、きりたんぽ・・・秋田の特産品や名産がぐるりとイメージされたのですが、今日ばかりは心の中に閉じ込めておくことにしました。 |
2021年2月10日(水) |
第210話 楽しい味の話 |
投稿:星野 |
ある施設に入所されている患者さんを訪問した時のことです。
部屋に入ろうとしたところ、部屋の中から「いらっしゃいませ!」と元気な声が聞こえてきました。
実は、患者さんは若い時、仙台市内で洋食レストランのオーナーだったのです。
認知症のため物忘れがあるのですが、シェフとして自分が一番輝いていた時のことはよく覚えていて、その日の診察では、とても嬉しそうに当時の様子を語って下さいました。
目を輝かせて生き生きと語る姿を見ていると、まるでお客さんになったような気分になりました。
きっと、シェフをしていた時は、お客さんの気持ちになって調理し、お客さんに喜んでもらえるような洋食を心を込めて作っていたのでしょうね。
この患者さん、今は料理の腕を振るうことはなくなったのですが、「食事は、食事を作る人の気持ちになっていつも感謝しながら食べています」と今でも食に対する感謝の念を持ち続けています。
味にうるさい人だったら、さぞかし施設の職員も困っていたでしょう。
楽しいお話ごちそうさまでした。
昼食は、いつもコンビニで鮭弁当・のり弁当を買って食べるのですが、その日の昼食はオムライスを買ってプチ・洋食を楽しみました。 |
2021年2月4日(木) |
第209話 年齢相応 |
投稿:星野 |
医者が病気を説明する時に、年齢相応という言葉を時々使ったりします。 例えば、頭のMRIを行った場合、高齢になるほど、脳が萎縮してきたり、細かな脳梗塞の痕跡が見つかったりします。 検査値の基準値というのは、若くて健康な人を含めた標準的な数値などをもとに作られますから、歳をとってくるとこの基準値から外れることが多くなるのは仕方ありません。 しかし、他の同年代と比較した時、著しく基準から外れていなければ、医者は年齢相応という言葉を使って説明したりします。 したがって、年齢相応というのは、患者さんに安心感を与え、患者さんに納得してもらうための一つの言い回しになっていると言えるでしょう。 しかし、医者の言う年齢相応というのは、医者個人の経験が基準になっていることが多く、その基準というのは非常に曖昧なのも事実です。 また、基準値というのは、他人との比較を意識させるので、何歳になっても他人と比較するような生活や意識でいたら、人生がつまらなくなってしまうのではないかと思います。 そういえば、在宅医療の仕事に携わるようになってから、外来や病棟を担当している時に比べ、患者さんに向かって年齢相応という言葉を使わなくなりました。 それは、在宅医療とは、その人の個性や生き方を尊重し、それぞれの生活に合わせて「その人相応(その人にとってふさわしい)」の生活を支援する仕事だからと思います。 たとえ、記憶障害が進んだり、身体が不自由になったりしても、自分らしさを失わず生き生きと生活している方に接していると、他人と比較することが本当にちっぽけなことではないかとさえ思ってしまいます。 これからも、どのような在宅医療を行っていくべきか、「自分相応」の在宅医療を模索していきたいと思います。 |
2021年1月27日(水) |