仙台市若林区の診療所  やまと在宅診療所あゆみ仙台 【訪問診療・往診・予防接種】


 第279話 徳川家康のような人生
投稿:院長

戦国大名の中で、天下統一に向かった織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人はよく比較されますが、中でも、革新的なことを行った織田信長の人気が一番高いようです。

一方、徳川家康は他の二人に比べて地味で、必ずしも人気が高いとはいえないのですが、戦国大名の中で最後に天下統一を成し遂げたのは紛れもない事実で、最も成功した大名と言えるでしょう。

徳川家康にあって、他の二人にないものを考えると、成功の秘訣がよくわかります。また、何か事業を行うときには徳川家康の生き方というのはとても参考になるのです。

まず、第1に、不遇の幼少時代から彼を支えた家臣団の存在です。家康と苦楽を共にし、家康に対する忠義心の厚さと勇猛さで知られたいわゆる「三河武士団」とは強固な絆でつながっていました。これは家臣の明智光秀に裏切られた織田信長や、農民から下剋上で這い上がった豊臣秀吉にはなかったもので、何か重大な決断を下すときには家臣の意見を尊重したそうです。トップダウンで物事を決めていく織田信長とは最も大きな違いの一つです。

2に、たとえ、自分に謀反したり敵対した者に対しても、咎めることなく登用したことです。かつて敵対した今川氏や武田氏らの家臣団を大量に自分の家臣として取り込み、地元に精通している者に領国経営させることで、混乱なく拡大した領地を掌握することが可能になりました。また、武力だけでなく、知力や政治力に長けた家臣を適材適所に登用することで、徳川政権をより強固なものにしました。江戸幕府を開いてからすぐに将軍職を2代目の秀忠に譲ることができたのも、有能な家臣団なしではありえませんでした。

3に、逆境をもチャンスに変える忍耐力と創意工夫です。豊臣秀吉が北条氏を滅ぼした後、秀吉から、今まで治めていた三河などの5か国から、関東への移動を命じられ、苦労して手に入れた土地を手放さなくてはなりませんでした。当時の江戸は未開拓で湿地帯が多く、人が住めるようになるには相当な土地開発が必要でしたが、江戸城を起点に水路を整備して水運が活発な街づくりをした結果、江戸はその後に世界最大の都市に発展し、今の東京の基盤となりました。

4に、自分の健康管理(食事や漢方薬に精通)に気を配り、当時としては破格の健康長寿(75歳)を実現したことです(ちなみに織田信長は49歳、豊臣秀吉は62歳で亡くなっています)。当時の平均寿命が50歳前後ということを考えると、現在で言えば120歳前後まで生きたことになります。家康は関ケ原の戦いに勝利し、江戸幕府を開きましたが、それだけでは徳川政権はまだ盤石とは言えませんでした。それは、大阪城には、豊臣秀吉の息子、秀頼が豊臣の家督を継いでおり、家康は豊臣の家臣の一人であるという見方もあったためです。しかし、徳川と豊臣の間で政権争いが起こった場合に、豊臣に味方する可能性があった加藤清正、福島忠則、浅野長政らの有力大名(すべて家康よりも年齢がが若い)が、関ケ原の戦いの後、次から次へと亡くなり、大阪の陣の頃には、豊臣に味方する有力大名が一人もいなくなっていました。そして家康自身は、1615年に大阪夏の陣で豊臣氏を滅亡させ、武家諸法度、禁中並公家諸法度を交付し、年号を、150年近く続いた大きな戦乱が終わり、天下が平定したことを表す「元和」と改め、翌1616年に75歳でその生涯を閉じることになります。

ここで、驚くべきことは、大阪の陣では自らも出陣し、天下統一のすべてを成し遂げ、徳川政権が盤石となったことを見届けてから亡くなっていることです。家康がもっと早く命を落としていたら、260年余り続いた江戸幕府はなかったかもしれません。

有名人や知人が道半ばで、病気にかかったり亡くなったりするのを聞くにつれ、家康のように健康で長生きすることが、何か事をなす際に、大きな資本となり、すべての原点になりうるのだと改めて感じています(人の健康を預かっているはずの医師にとって、最も頭の痛い大きな課題の一つです)。

訪問診療では、自宅や施設でお看取りをさせてもらうことも多いのですが、人生やりたいことをやり切って満足な人生だったと振り返ることができる人が少なくありません。そして、そのような方に関わることが、私たちの励みの一つになっています。

いよいよ明日から、あゆみホームクリニック仙台からやまと在宅診療所あゆみ仙台として再出発します。しかし、患者さんが晩年の時を、家で康らか(やすらか)な生活を送っていくことができるよう支えていくというあゆみホームクリニック仙台の理念は継承していきます。どうぞよろしくお願いいたします。 


2022年6月30日(木)

 第278話 嬉しい退院と嬉しくない退院
投稿:院長

現在、仙台市内の病院からいろんな患者さんを紹介されますが、入院している終末期の患者さんで、本人が残り少ない時間を自宅で生活したい、ご家族が患者さんと一緒に生活したい、最期は自宅で看取りたいという意志が強く、退院したら一刻も早く訪問診療に入ってほしいという依頼が少なくありません。

先日、初めて診察した患者さんは、午前中に病院を退院され当日の夜に、ご家族や大勢の親族に囲まれて自宅でお亡くなりになり、あと1日退院が伸びていたら、本人やご家族の希望が叶えられなかったと思うと、その意志に沿うことができて本当に良かったと感じました。

私が病院勤務していた頃は、なかなか退院したがらないお年寄りの患者さんが必ずいて(笑)、どうしたら退院してもらえるか頭を悩ますことが多く、訪問診療に立場を変えた今の状況とは全く異なっていました。

退院したくない患者さんは、退院の話をするといろいろ症状を訴え始めたり大安にしか退院しない(仏滅に退院するなんて絶対にありえない)と主張したり、なかなかこちらが意図したように退院の段取りを進めることができず、手こずることも少なくありませんでした。

ある患者さんは、いびきのうるさい患者さんがたまたま同室に入院した途端に、居心地が悪くなったのか、急に退院の話が進むようになったり、私が地方の古い病院に派遣されていた頃、真夏に病室のクーラーが故障して、看護師さんが「この病院に入院していると熱中症になるから早く退院した方がいいですよ!」と早期の退院を促したこともあったり、今となっては笑い話のような懐かしい思い出です。

また、警察から詐欺の容疑で逮捕状が出ている患者さんが糖尿病で入院した時は、血糖値が安定せずにとても苦労したのですが、退院すると警察に連行されてしまうので、血糖値が安定しないように、実は医療スタッフに隠れて飲食を繰り返していたことが判明したこともありました。このときは、結局、強制退院の手続きをとったため後になって、個人的に恨みを買って報復されたりしないか、しばらく注意して生活しました。

また、やくざの幹部と思しき人が入院した時は、病室に回診すると、個室の入り口にいかつい顔をした子分が睨みをきかせて私の診察を監視しており、親分のために?室内環境にいろいろと細かい注文をつけてきたときはこの先一体どうなる心配したのですが無事に退院が決まった時はとても安心したことを覚えています。

本来、退院はとても喜ばしいことなのに、病院勤務医時代は、退院を望んでいない患者さんを相手にすると、退院できる喜びを一緒になって分かち合えないもどかしさを感じたものですが、訪問診療に関わるようになり、退院して自宅に帰ってきた喜びを一緒に分かち合うことができるようになり(今のところ、また一刻も早く病院に戻りたいという患者さんに出会ったことはありません)、病院勤務医時代に感じていたもどかしさから開放され、やりがいを感じているところです。


2022年6月19日(日)

 第277話 頼もしさとは?
投稿:院長

次男が通学している中学校サッカー部の顧問をしている先生が、生徒や保護者に向けて記載した練習試合のレポートを読む機会がありました。

試合展開、良かった点、課題などが要領よくまとめられ、冷静な試合分析とともに、部員やサッカーに対する愛情や情熱が文面にあふれており、次男は、頼もしくて良い先生に指導を受けているものだと感心しました。

私が研修医の時には、先輩や同僚、看護師から認めてもらいたくて、勉強したばかりの英語を含んだ専門用語をちりばめたカルテを書いたりして、カッコよく見せようとしましたが、実力や行動が伴っていませんでした。

医者に限らず専門家は、時に難しい専門用語や難解な言葉を駆使し、いかに知識があるのか、その分野に長けていて“頼もしい存在”なのかアピールしたがるものです。しかし、結局のところ、どんなに知識や理論で自分を飾ったとしても相手の心に響くものでなくてはなりません(官僚の作った文章を棒読みする政治家の話が心に響いてこないのと一緒です)。

小説家の司馬遼太郎さんは、1989年「21世紀に生きる君たちへ」というエッセイを小学生向けに書き残しています。

司馬さんは当時60代で、誰もが21世紀になってもまだまだ小説家として活躍されているのではないかと考えていましたが、エッセイの中で「私の人生はすでに持ち時間が少ない。例えば21世紀というものを見ることはできないにちがいない」と予言し、その予言通り1996年に急逝され、このエッセイは司馬さんが私たちに残した遺言というべきものになりました。

司馬さんはこのエッセイの中で子供たちに語りかけるように記しています。

「自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにつくられていない。このため助け合う、ということが人間にとって大きな道徳になっている。助け合うという気持ちや行動のもとは、いたわりという感情である。他人の痛みを感じることと言ってもいい。やさしさと言いかえてもいい。やさしさ、おもいやり、いたわり、他人の痛みを感じること、みな似たような言葉である。これらの言葉は、もともと一つの根から出ている。根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけなければならない」

(中略)

「君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、二十一世紀は仲良しで暮らせる時代になるに違いない。(中略) 人間はいつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。男女とも、たのもしくない人格に魅力を感じないのである」

(中略)

「もういちど繰り返そう。さきに私は、自己を確立せよ、と言った。自分には厳しく相手にはやさしく、とも言った。それらを訓練せよ、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されてゆく。そして、“たのもしい君たち“になっていく」

(中略)

「以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていくうえで、欠かすことができない心がまえというものである。君たち。君たちはつねに晴れ上がった空にように、たかだかとした心を持たねばならない。同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない」

この、「21世紀に生きる君たちへ」のエッセイには、「洪庵のたいまつ」というエッセイが併載され、日本に西洋医学を広げ、大村益次郎や福沢諭吉といった多くの有能な人材を育てた緒方洪庵のことを取り上げています。緒方洪庵は、当時、コレラや天然痘が流行し、多くの医師が命を落とす中で、自分の命を顧みずに懸命に治療にあたった人物です。

司馬さんは、その著書の中で多くの武士、大名、軍人、政治家を取り上げてきましたが、自分が身に着けた知識や技術を、他人へのやさしさ、共感、おもいやり、いたわりの気持ちをもって使うことができ、自分で考えて行動し、自己を確立させた頼もしい人物として、最後の最後に緒方洪庵を取り上げたに違いありません。

社会が目まぐるしく変わる21世紀を生き、私自身、司馬さんがこのエッセイを書いた年齢に近づくにつれ、司馬さんが後世に伝えたかったものを強く意識するようになってきました。

そして、残り少ない伸びしろの中で、少しでも頼もしい存在に近づけるよう、努力していきたいと考えているところです。 


2022年6月8日(水)

 第276話 女房の存在
投稿:院長

家に帰ると、常に励ましてしてくれる妻の存在ほど心強いものはありません。

故野村克也さんが、生前に妻の野村沙知代さん(サッチー)のことをしみじみと語っていた言葉を思い出します。

「とにかくサッチーはポジティブで、『口癖はなんとかなるわよ』だった。ピンチの時も『何を落ち込んでいるのよ。何とかなるわよ』だった。実際、なんとかなっちゃうんだよ」

「いつも強気で迷うことなく前へ前へ進んでいく。その生命力の強さが頼もしかった。一度も離婚しようなどと思ったことはないし、その発想さえなかった。こっちは彼女のおかげで悪くない人生だったから、ありがとうと伝えておけばよかった」

サッチーが、一時、世間からバッシングを受けていた時期があり、どうして野村監督が彼女をかばい続けるのか、疑問を感じた方も多いでしょう。野村監督がサッチー騒動の影響で阪神の監督を辞任した時には私もそう思っていました。

しかし、サッチーに先立たれた時の野村監督が見せた表情や、私自身が訪問診療に携わるようになってから、サッチーの大きな存在や役割を理解できるようになりました。

最近、がんと闘いながらも、家族のために台所に立ち続け、心配して弱気になりがちなご主人に対して「しっかり仕事してきなさい!」とご主人を鼓舞し続けた女性をお看取りする機会がありました。

余命を告げられてからも、それを受け入れ、常に笑顔を絶やさず、診察では笑いが絶えませんでした。

だんだんと身体が弱っていく彼女に対して、当初、ご主人はどう接してよいのか、どう介護してよいのか戸惑っていましたが、自宅で妻を看取るという覚悟を決めてから、訪問看護の助けを借りながら、献身的に介護を続け、最期まで介護者としての役割を立派に果たしました。

彼女が亡くなった後、安らかな表情で眠る彼女の傍らで「とにかく明るくて誰でもすぐに仲良くなれる性格だった」としんみりと語るご主人の姿に、サッチーに先立たれた時の野村監督の姿が重なりました。

きっと天国から「あなた、しっかりしないとだめよ!」と見守ってくれているに違いありません。

彼女の意思や遺伝子は、息子さんやお孫さんに受け継がれています。

ご主人には、彼女をがっかりさせないよう、これからも力強く生きていってほしいと心から願っています。 


2022年5月25日(水)

 第275話 愛情ホルモンとの付き合い方
投稿:院長

前回は、脳内の神経伝達物質の中でセロトニンという物質が心の平静を保つために重要と書きました。

しかし、近年、心の癒しをもたらすオキシトシンという脳内ホルモンが注目されるようになっています。

このオキシトシンは、女性が出産するときに陣痛を促進させたり、出産後の母乳の分泌を促したり、子供への愛情(母性愛)を引き出すことが知られていたのですが、近年、母親だけでなく、男女や年齢の区別なく分泌されることがわかってきました。

オキシトシンには、人への親近感を増し、脳の疲れを癒して気分を安定させ幸福感をもたらす働きがあることが知られ「愛情ホルモン」とも呼ばれたりしています。

そして、このオキシトシンの分泌は、@と手をつないだり、体の一部をさすったり、ハグするなどスキンシップを行う、A人に感謝の言葉を伝える、B人と楽しく会話する、C人に親切にする(他利的な行動を行う)など、親密な対人関係を構築する言動の中で促され、相手への愛情や絆、信頼をさらに高めるという効果があります。中でも、スキンシップは最も重要で、背中を優しくなでるタッチケアにより、認知症患者さんの問題行動が減少したり、慢性的な痛みに悩まされている患者さんの症状が軽減したりすることもわかってきました。

在宅医療でも、家族や看護・介護職員の献身ぶりをみていると「オキシトシンが満ち溢れているな」と感じる場面が少なくありません(笑)。

しかし、オキシトシンには負の面も存在します。

相手に対する愛情や信頼が高まれば高まるほど、相手に裏切られた時の心の傷や恨みが大きくなり、時には報復という手段を選んでしまうことがあります。また、最愛の人が亡くなったりすると強い喪失感のために何もできなくなってしまい、最悪の場合、その人の後を追うように亡くなってしまう場合があります。さらに、仲間意識が強くなるほど、そこからはみ出た人たちや価値観の異なる人たちを許せなくなり、差別や偏見、排他意識が強くなってしまうのです

近年、コロナ禍で、家族と会う機会が少なくなったり、仕事で人と直接会って話をするのではなく、リモートワークが増えて、ファックスやメールなどの形式的なやり取りだけで済ますことが多くなり、オキシトシンの恩恵を受ける機会が減ってきています。また、逆に、ネットでのバッシングや集団による個人を標的にしたいじめ、自国第一主義を掲げる指導者が増えてくるなど、オキシトシンの負の側面が表れているな」と感じる機会が増えてきました。

脳科学者の中野信子さんによると、人間は他の動物と比べると、一人ひとりの個体は外敵と戦う力が弱く、逃げ足も早くない、すくに捕食されるような弱い生物で、それを補うために他の人との信頼や絆を高めながら、集団や社会生活を送るようになり知恵を使って生き伸びてきました。

オキシトシンを通して、人はどう生きるべきなのか、私たちはプラスにもマイナスにも働くオキシトシンという脳内ホルモンとどう付き合っていけばいいのか考えなくてはなりません。


2022年5月18日(水)

 第274話 エバーグリーンな心の色
投稿:院長

脳には、複数の神経伝達物資が存在しますが、その中でもノルアドレナリン、ドーパミン、セロトニンは、三大神経伝達物質と呼ばれ、心の働きを司る上で特に重要な役割を果たしています。

ノルアドレナリンは、交感神経を刺激して心身を覚醒する働きがあり、何かに取り組む際、意欲を高めるために重要です。その一方で、ストレスに反応して怒り、不安、恐怖という感情を引き起こします。これらの感情を引き起こすことで、何か生命の危機があった時に、とっさに行動する準備ができ、危機管理の役割を果たしているとも言えますが、過剰すぎると、怒りっぽくなったり、極度に不安になったり感情が不安定になります。

ドーパミンは快楽を司り、報酬系の神経伝達物質と呼ばれています。例えば、金銭や名誉に関連することが満たされると、このホルモンが分泌され、人は快感を感じ、さらに次に向けて意欲を高めることができます。しかし、これが繰り返されると、少しのことではなかなか満足できなくなり、さらに快感を求めて行動が行き過ぎたり、タバコ、アルコール、覚醒剤、ギャンブルなど、その快感を求めて依存的になったりするという負の側面もあります。

セロトニンは、心の平静を保つために特に重要で、「幸せホルモン」などと呼ばれることもあります。特に、セロトニンが分泌されることで、ノルアドレナリンやドーパミンによる暴走をコントロールし、精神的な安定をもらたし、痛みを緩和することができます。

話が変わりますが、今日は、3年ぶりに仙台国際ハーフマラソンが開催され、自分が大会に出ていた時のことを懐かしく感じながらテレビ観戦しました。

最近は、マラソン大会に出ることはなくなりましたが、マラソンというのは、体力面だけでなく、精神状態に大きく影響され、脳の神経伝達物質を使ってマラソンの心理状態を表わすことができます。

例えば、大会を走る前は、やる気と緊張感を保つために、ノルアドレナリンが適度に分泌されなくてはいけません。色に例えると情熱の赤です。

しかし、いざスタートすれば、調子に乗りすぎてオーバーペースにならないよう、セロトニンを適度に分泌させる必要があり、アドレナリンをコントロールしながら心地よいペースに落ち着きます。色に例えると鮮やかなグリーン(新緑)です。

しかし、レースも終盤になり、疲労物質が徐々に溜まってきて、目標のタイムに届かないと感じたり、アクシデントが発生してまともに走れなかったりすると、セロトニンに抑えられていたアドレナリンによるストレス反応という負の側面が出てきたりします。色でいうと赤信号の赤です。

その逆に、終盤まで好調に走り続けて、目標通りにゴールできそうだとわかった時は、ドーパミンによる快楽とやる気が出てきて爽快な達成感を感じながらゴールすることになります。色に例えると透明感のあるスカイブルーです。

しかし、その達成感が病みつきになると、その快楽(スカイブルー)を求めて次第にランニング中毒になっていきます(笑)。

以上、マラソンはスタートしてから、セロトニンを適度に分泌させて、終盤までいかに心の平静を保って自分自身をコントロールして走れるかがとても大切で、これは私達の生活や人生にも同じことが言えます。

実は、自転車、歩行、ジョギング、エアロビクス、咀嚼(規則正しく噛んで食べる)などの規則的な運動(リズミカルな動作)、日光浴、呼気を意識した呼吸法などで、セロトニン神経が活性化しやすくなることがわかっており、セロトニン神経は鍛えることができる!のです。

個人的に、在宅診療にもこれを応用することができると考えており、患者さんがセロトニン神経を活性化させて、「エバーグリーンな生活」が実現できるよう、支えていきたいと思います。


2022年5月8日(日)

 第273話 花の季節
投稿:院長

桜が散っても、この時期は種々の花が開花し、その色彩を楽しむことができ、私にとって大好きな季節になっています。

患者さんの家では、園芸をしている方が多く、庭にはパンジー、ビオラ、チューリップ、スイセン、ハナミズキ、シバザクラ、ネモフィラ、シャクナゲなど、色とりどりの花が咲き誇り、訪問のたびに楽しませてもらっています。

そして、庭だけでなく玄関には生花が、仏壇には切花が飾ってあり、花を見かけない家はないと言ってよいほど、花はなくてはならないものになっています。

また、ある患者さんの部屋には、お孫さん一同から誕生日のお祝いに贈られてきたという見事な胡蝶蘭が飾られており、患者さんに対する感謝や想いをそこに見ることができました。

庶民が日常生活の中で花を取り入れたり楽しむという文化は、江戸時代に始まったようで(当の江戸は人口が密集し、「火事と喧嘩は江戸の花」と言われるように火事や派手な争い事が絶えなかったようですが)、今や桜や菊の花は日本の国花に指定され、各都道府県には、その地域を代表する花がシンボルとして指定され、宮城県はミヤギノハギ、私の出身である新潟県はチューリップが県花となっています。

さらに、冠婚葬祭でも花は欠かすことはできず、お祝いにプレゼントとして花を贈り、亡くなった方をたくさんの花と共に見送ることが一般的になっています。

言葉の世界でも、新郎を「花婿」、新婦を「花嫁」と呼んだり(後になって「鬼嫁」と呼ばれるようになる人もいるようですが・・・)、立派な功績を残して引退することを「花道を飾る」、話が盛り上がることを「話に花が咲く」、他人に功績を譲ることを「花を持たせる」、素晴らしいものを2つ同時に手に入れることを「両手に花」などと、花を使ったことわざが多数あります。

話が変わりますが、4月下旬に、当クリニックと連携する複数の事業所から花のギフトが届きました。

振り返ってみると、クリニックが保険医療機関として正式に開業したのが昨年5月1日なので、早いもので本日で開業1周年ということになりました。

その節目の日をきちんと覚えていてくださっていたことに感謝の言葉もありません。

このフラワーギフトをみて、この地域に在宅医療の花を咲かせ続けたいと強く感じているところです。


2022年5月1日(日)

 第272話 もう一人の主役
投稿:院長

当院では、癌などの終末期の患者さんが人生の最期の時を自宅で過ごせるよう支援していますが、もともと通院していた病院に再入院し、最期の時間を病院で過ごすことがしばしば生じてきます。

実は、終末期の患者さんが、自宅での生活が困難になってしまう理由として、患者さんの病状が悪化して十分に苦痛を緩和できなかったということ以上に、同居している家族の介護負担が大きな要因になっています。

介護は複数で交代しながら行うことが理想ですが、介護者が一人だけということも多く、また、近年は病院で亡くなる人が増え、自宅で家族の看取りを経験している人が減少し、介護の経験が不足しているのです。

例えば、普段から身の回りのことをすべて自分で行い、家族には一切手出しをさせないような自立心の強い患者さんの場合、病状が悪化して自立した生活が困難になってくると、今までほとんど介護に関わっていなかった家族が、本人にどのように接したら良いのか戸惑うことになります。またその一方で、普段から家族への依存心が強い患者さんの場合、家族に対して昼夜を問わない様々な要望が出されて家族が疲弊してしまうケースもあります。

さらに、家族の責任感や不安感が強く、患者さんを一人にしておけないと考えている場合も、介護の負担が次第に大きくなり疲労が蓄積してしまいがちです。

いくら親しい間柄であっても、適切な距離感を保って介護することが大切で、患者さんが自分でできることはそれを促し、本当に困った時に手助けするくらいのほうが丁度良いのです。

孤独で出口が見えない介護、いくら頑張っても誰からも称賛されない介護ほど辛いものはありません。

介護者を孤独にさせないよう、患者さんに関わる医師、看護師、ケアマネージャー、介護士が、家族を時には励まし、時には一緒に悩みながら、けして完璧な介護を目指す必要はないと伝え、サポートすることが大切です。

在宅医療は、それぞれの人生が交錯するドラマ。

そのドラマでは、患者さんだけでなく介護者も大切な主役で、けして「劇団ひとり」にしてはいけません。

もう一人の主役が自分のペースでいきいきと過ごせるよう、一生懸命に脇役の役目を果たしていきたいと考えています。


2022年4月25日(月)

 第271話 サクラサク
投稿:院長

待ち望んだ桜の季節がやってきました。

仙台でも数日前から桜が満開となり、西公園ではライトアップされた桜を見学に来る人で賑わっていると報道されていました。

普段の診療でも、往診車の車窓から見事に咲き誇った桜の景色を見て楽しんでいます。

しかし、患者さんの中には、外出が困難で桜を見ることができない人が少なくありません。

そこで、そんな患者さんのために、外出中にスマートフォンで写真撮影をした桜を、診察中に患者さんに見てもらうことにしています。

世界的に見ても、ひと種類の花が咲くのを国中で待ち焦がれて話題にすることは珍しいことのようで、桜の花は古くから様々な歌に詠まれて日本人に愛されてきました。

例えば平安時代の歌人、在原業平(ありわらのなりひら)は「世中(よのなか)にたえて桜のなかりせば、春のこころはのどからまし」(世の中に桜の花などなければ、春は心をのどかにして過ごせるだろうに)と詠み、桜のことで落ち着かない気持ちを表現しています。

そんな私も、桜に季節になると、「せっかく満開になったのに風や雨で散ってしまうのはもったいないな〜」とか、「有名な桜の名所で花見ができるなんてうらやましいな〜」とか、「もっと良い写真撮影スポットはないかな〜」などと、在原業平のように落ち着かない日々を過ごすことになってしまいます。

今年はどうかというと、長男が高校受験の年になり、3月の合格発表まで例年よりもひと足早く落ち着かない日々を過ごしていましたが、第一志望の高校が「サクラサク」という喜ばしい結果となり、昨日からの風雨で満開の桜の花が散りかけても、例年よりも落ち着いた気持ちで過ごすことができています。


2022年4月15日(金)

 第270話 潜在能力
投稿:院長

当院が担当している患者さんで、腸に問題があり、長い間、満足な食事ができず、点滴による栄養補給を受けていた方がいるのですが、ある総合病院に入院し手術を受けた結果、待望の食事ができるようになり、ついに点滴から開放され、皆で喜びを分かち合いました。

この患者さんにとって、手術は一定の危険性を伴うものですが、再び大好きな食事が出来るようになるという利益を優先させたことが良い結果につながったのです。患者さんの希望や生活の質を尊重し、手術をするという決断をしたドクターに敬意を払いたいと思います。

特定の医療を受けるかどうかは、利益と危険性のバランスの上に成り立っており、治療を受けることで得られる利益がその危険性を上回ると判断されれば、治療に踏み切ることになりますが、その一方で危険性が利益を上回ると判断されれば、治療を差し控えることになります。

在宅医療の対象となる患者さんは、人生の最終段階にある方が多く、できるだけ危険を避けて平穏に生活をすることが優先されることが多いのですが、その例外として、自分の生きがいになっているものを得るためにあえて危険を冒すという判断をすることがあります。

その数少ない例外として、「口から大好きなものを食べる」ということなのです。

例えば、病院で検査を受けた結果、嚥下機能が低下し満足な食事摂取が困難と判断された患者さんが、自宅では誤嚥性肺炎の危険を冒しても食べることを優先した結果、再び食事ができるようになった方が少なくありません。そこには、患者さんの希望だけでなく、大好きな食事を味わってほしいという家族の願いがその原動力になっています。

その一方で、ある患者さんは、食べることが生きがいで、再び食べられるような処置を希望していたのですが、ある病院で診察を受けた結果、断層写真の結果を根拠に消化管が機能していないと判断され、残念ながら処置を受けることができませんでした。

近年、病院での画像検査が発達し、正確な診断ができるようになったのですが、その一方で、特に整形外科領域では、画像検査の結果と症状の程度に全く関連性が見られないという研究結果も少なくありません。

例えば、画像検査の結果がほぼ同じであっても、ひどい症状に悩まされている方もいれば、全く症状がない人もいるのです。

画像検査は、必ずしもその患者さんの潜在能力や症状をすべて反映しているわけではありません。

在宅医療では、使用できる医療機器に限りがあるのですが、だからこそ、検査に頼らない判断を求められることが少なくありません。

私自身、患者さんの表情や仕草から、「この患者さんは、まだできるのではないか、まだやれるのではないか」という感覚を大切にしていきたいと思っています。

医療者が五感をフル稼働させて、患者さんの潜在能力を見出し、その潜在能力を引き出して喜びを分かち合うことが在宅医療の醍醐味の一つではないかと考えています。


2022年4月9日(土)

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