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第290話 蕎麦の味わい |
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投稿:院長 |
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Nさんは、地元では有名な蕎麦屋の店主をされていましたが、総合病院で進行性の病気と診断され、在宅診療を受けることになりました。 店の2階にある自宅で療養している時も、店のことが頭から離れず、お客さんがきて繁盛しているかモニターで確認する毎日でした。 しかし、Nさんの心配は無用で、Nさんのそば職人としての味を、奥さんや従業員が立派に受け継いでおり、店は常連のお客さんが途絶えることはありませんでした。 Nさんは、「自分の最後の望みは、この家で最期まで過ごすことで他に思い残すことはない」「逝くときは店の営業に差し支えないよう営業時間外に逝きたい」と希望されました。 身体が不自由になっても、しんどいことがあっても、常にユーモアを忘れず、お客さんを大切にしてきた通り、他人に対する思いやりや感謝を欠かしませんでした。 食事が満足に取れなくなっても、自家製の蕎麦湯を味わい、最後となった入浴も気持ちよく入れましたと嬉しそうでした。 そして、ご家族が少し目を離した隙に、Nさんは静かに息を引き取っていました。それは、まさにNさんが望む営業時間外でした。 Nさんが残した蕎麦の味は、これからも蕎麦を味わった人の心の中で生き続けていくでしょう。 そして、「今度、蕎麦を食べに来てください」とNさんと交わした約束を果たすべく、私もそのうちの一人になるつもりでいます。 |
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2022年10月19日(水) |
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第289話 くだもの |
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投稿:院長 |
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在宅医療では、様々な医療器具を使いますが、最も多いものがカテーテルやチューブと言われる管です。 例えば、高カロリーの点滴を必要とする場合は中心静脈カテーテルが、排尿機能が低下している場合は膀胱カテーテルが、食事摂取が困難な場合は経鼻栄養チューブと言われる管が患者さんに留置されることになります。 これらのカテーテルやチューブは、本来、患者さんの苦痛を取り除いたり、生命活動を維持したりすることを目的に使われますが、私の経験上、病院では、膀胱カテーテルを入れておけば、正確に尿量を測定でき、オムツ交換などの介護の手間が省けるなど、使用する側の都合でカテーテルが留置されることがたびたびありました。そして、抜去できるチャンスを失ったまま長時間が過ぎてしまうのです。 しかし、これらカテーテルやチューブの最大の弱点は、閉塞、感染、自己抜去の危険性が常にあるということで、時にその合併症で重症化することさえあります。また、カテーテルを長期間留置することで患者さんに違和感や苦痛を与えることもあるでしょう。 診療所では、挿入されたカテーテルやチューブは、必要がなくなればできるだけ抜去を試みるようにしていますが、特に膀胱カテーテルに関しては、その半分以上は抜去に成功しています。「必要のない管はなるべく挿入しない」、「留置した管でも抜去できないか常に検討する」という姿勢がとても大切です。 ところが先日、ある患者さんから、病状の進行による身体機能の低下からベット上の生活となり、「尿が出なくて腹が張って苦しい」という訴えがあり、往診することにしました。その場で超音波検査をすると大量の尿が膀胱にとどまっていることが確認され、止むなく膀胱カテーテルを挿入することにしました。カテーテルを挿入すると大量の尿が一気に流出してきました。 患者さんは「ああ〜楽になった。ありがとう!」とグータッチを求められたので、「楽になってよかったですね!」と返答し、お互いにグータッチを交わしました。 実は、膀胱カテーテルを挿入してこれだけ感謝されたのは初めてでした。 今回、膀胱カテーテルを入れることになりましたが、患者さんが元気を取り戻し、再び自分でトイレに立つことができるように支援していきたいと思います。 今、果物の美味しい季節になってきましたが、「管物の秋」にならないよう祈るばかりです。 |
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2022年10月9日(日) |
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第288話 追いかける |
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投稿:院長 |
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訪問診療では、デイサービス中の診療は認められていないため、デイサービスの日程と重ならないように定期の診療予定を組みます。 万が一、患者さんがデイサービス中に体調が悪くなった場合、患者さんにデイサービス先から帰宅してもらって往診するか、病院に救急搬送する必要があるのです。 しかし、デイサービス先でも医療処置が可能なサービスがあります。 ある患者さんは、褥瘡が悪化し、自宅に訪問する訪問看護の回数を増やして処置をしていましたが、決められた曜日にデイサービスに通わないと、介護する家族の介護負担が増してしまいます。しかし、デイサービスでは十分は処置ができないため、褥瘡はなかなか良くなりませんでした。 そこでこの患者さんを担当している訪問看護ステーションが、デイサービス先に訪問して直接処置を施したり、処置方法をデイサービス先の看護師さんに指導してくれることになりました。 それ以降、褥瘡はみるみる改善していきました。しかも、デイサービス中には、家族が介護から開放されるので、まさに一石二鳥。 また、ある訪問看護ステーションでは、患者さんが娘さんの結婚式に出席するため、会場まで付き添いをしてくれることになりました。 これは、訪問看護ステーションの情熱の為せる技としか言いようがなく、私は「追っかけ看護」とか「一石二鳥看護」とか「ストーカー看護?」と呼んで敬意を表しています。 「患者のためなら、私たちは付いていくわ!」 そんな訪問看護がこの地域の医療を支えています。 |
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2022年9月26日(月) |
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第287話 教えたのは自分 |
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投稿:院長 |
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Iさんは、ある総合病院から紹介を受けて、訪問診療を始めた患者さんです。 診察を開始した当初は、連日の吐き気に見舞われて、すっかり元気をなくして、かなり体重が減った状態でした。 そんな母親を介護するため、息子さんが県外から帰省して、在宅勤務をしながら自宅でIさんを見守ることになりました。 息子さんはとても大きな体格で(かなり体重オーバー?)、Iさんは息子さんを頼もしそうに見つめながら話をしてくれました。 「息子はいつも美味しそうに食べるので、それを見ていると元気をもらえるんです。私も頑張らないといけませんね」 薬を調整した結果、Iさんの吐き気は劇的に改善し、数週間後にIさんを訪問すると、顔がふっくらして生き生きとした表情になっていました。お化粧のノリもばっちりです。 Iさんは「あれから3kg太ったんですよ」と嬉しそうに報告してくれました。 その表情に、親子水入らずで食卓を囲んで楽しそうに食べているIさんの姿が想像できました。 息子さんに食の楽しみを教えたのはきっとIさんで、今、自分の教えが自分に良い形で跳ね返ってきたのです。 今度はIさん自身が、食の楽しみを存分に味わい続けてほしいと思いました。 息子さんの体重が少し心配になりますが、Iさんが次はどんな表情でどんな話をしてくれるのか今から楽しみにしています。 |
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2022年9月15日(木) |
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第286話 嵐の後の静けさ |
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投稿:院長 |
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患者さんの中には、気仙沼出身で、元漁師のOさんがいます。 昔は遠洋漁業に携わり、漁船に乗って何ヶ月も太平洋上を航海しながら漁をしたそうです。 漁師さんというと、個人的には「逞しくて少々気が強い性格」の患者さんが多かったという印象を持っていましたが、Oさんはとても穏やかな方です。 傍らの娘さんが懐かしそうに、父の思い出を語り始めました。 「若い頃は、相当お酒を飲んで、親兄弟に迷惑をかけましたが、今はとても穏やかになりました。漁師をしていた頃、船が座礁して何ヶ月も漂流した時も、震災の時もこうやって生きていてくれました」 Oさんがそれに答えるかのように話してくれました。 「赤道直下で船が座礁して、漂流している時にサメに足をかじられたこともあるんですよ」 私は驚いて「えっ、サメですか!?」と聞き返し、今も右足に残るケガの跡を見せてもらいました。 今までたくさんのケガを診てきましたが、飼い犬に噛まれたとか、クマに襲われたというのは経験がありますが、サメにかじられたというのは初めてです。そしてその跡は、Oさんが逞しく生き抜いてきた証でもあるのです。 困難を生き抜いてきたOさんは今、とても静かで落ち着いた生活を送っています。 私は「よくご無事でいらっしゃいました。こうやってOさんとお会いできるのは奇跡なのですね。せっかくここまで生き抜いてこられたんですから、来年の米寿も元気で迎えましょう!」とお伝えしました。 Oさんは、これからも逞しく、そして穏やかに過ごされていくに違いないと確信したのでした。 |
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2022年9月8日(木) |
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第285話 通帳に込められた想い |
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投稿:院長 |
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訪問診療では、診療費の支払いは、銀行口座の引き落としをさせてもらっていますが、銀行の口座は患者さん自身がまだ管理をされている方もいれば、ご家族にすべての金銭管理を任せている方もいて、患者さんごとに様々です。 あるがん患者Aさんは、病気が進行し、家族の介護が必要になっても、自分の通帳はベッドの枕元に置いて、仲の良い家族にさえも、中身を見せるどころか、触らせたりすることさえなかったそうです。 現役で仕事をしている時から、口座への入金や支出を自分自身で管理することで、一家の大黒柱としての役割を果たしてきたという自負があるのでしょう。この患者さんは、それ以上に、そこに自分の生きがいを見出し、自分の手の届くところに通帳を置いて「自分はまだこの家の主として生きていくんだ」、という強い気持ちを発していたように思えます。 ご家族も、優しくも頑固な患者さんへの配慮から、病状が進行しても、通帳の引き渡したりを求めたり、確認さえしようとせず、そのままにしておいたそうです。 また、別な進行性の病気を持つ患者Bさんも、自ら銀行口座の通帳を管理し、家族からの一切の介護を拒否し、家の中では「自分のことは自分で行う」という責任感の強い方でした。 この患者さんにとって通帳は、自分の人生の総決算を表したものだったでしょう。 診療費の引き落としに対しても、疑問点があればスタッフに質問し、時には診察よりも説明に時間を要することもありました。 そして、病気が進行し、いよいよ自分でトイレに立てなくなった時、患者さんが選んだ道は、住み慣れた自宅での生活ではなく、病院への入院でした。 そこには「自分で自分の責任が取れなくなったら、家族にその負担を負わせない」という強い責任感があったように思えます。 銀行口座の引き落としの申請書の控えには、それぞれの患者さん直筆のサインと捺印が残されています。 不自由な体調の中で、一生懸命に書いたであろうその筆跡に、それぞれの患者さんの想いが込められているように感じられました。 |
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2022年8月22日(月) |
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第284話 ひなたの道 |
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投稿:院長 |
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当院で担当している患者さん宅を訪問した時、患者さんが若い頃、外国人と一緒に収まった写真が目に留まりました。 この患者さんは、昔、通訳で活躍された方で、よく話を聞けば、ジャズ歌手のルイ・アームストロングが来仙した際に、仙台市内を案内した時の写真だったのです。 この話を聞いた時、今年4月まで放送されていたNHKの朝ドラ「カムカムエブリバディ」を思い出しました。 この物語の中で、戦時中、ルイ・アームストロングの名曲、「on the sunny side of the street(ひなたの表通りで)」に魅せられた夫婦が、自分たちの子供に、将来、世界を自由に行き来できるような、そんな大人に成長してほしいと、ルイ・アームストロングにちなんで「るい」と名付けたのでした。 「るい」は成長し、やはり on the sunny side of the streetの曲に魅せられたトランぺット奏者と結婚し、その子供に、将来、このジャズの歌詞にあるような、ひなたの道を歩んでほしいという願いを込め、「ひなた」と名付けました。そして、ひなたは、日米の懸け橋となるような立派な通訳に成長したのでした。 同じ日、初めての診察のため、別な患者さんのご自宅を訪問したのですが、夏休み中の小学生のお孫さんと、リビングで会うことができました。 ご家族によれば、このお孫さんは、身体が不自由になった患者さん(おじいさん)のために、毎日、自宅で言葉のリハビリを一生懸命に担当しているとのことでした。 面談中、ご家族がこのお孫さんの名を呼びました。その名はなんと「るい」君。 将来、このお孫さんは、弱者の味方になるような立派な大人に成長していくに違いないと確信したのでした。 涙線(るいせん)が緩むような感動と、偶然とも思える展開に、その日は心地よい気分で過ごすことができました。 |
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2022年8月13日(土) |
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第283話 夏の風物詩 |
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投稿:院長 |
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8月2日、3日に3年ぶりに開催となった長岡花火を、テレビとYouTubeの生配信で観覧しました。 長岡花火の由来は、1945年8月1日、戦時中に連合艦隊司令長官・山本五十六の故郷である長岡市に起きた米軍のB29爆撃機による空襲に遡ります。翌1946年8月1日、焼け野原になった長岡市で早くも復興祭が開催され、1947年には、空襲で亡くなられた方の慰霊、鎮魂、戦争からの復興、恒久平和への願いを込めた花火大会が復活し、毎年8月2日と3日の2日間、花火が打ち上げられるようになりました。 画家の山下清画伯(1922年〜71年)は、大の花火好きで知られ、1949年に長岡花火を訪れ、代表作の版画「長岡花火」が生まれました。 その版画には、満天の星空に、色とりどりの夜空に咲く大輪の花火と、多くの観客が埋め尽くして観覧する今と変わらない長岡花火の風景が描かれています。 山下画伯は、「みんなが爆弾なんかつくらないで、きれいな花火ばかりつくっていたらきっと戦争なんて起きなかったんだな」というメッセージを残しました。 そして、昨日、3年ぶりに開催となった仙台市の花火大会もテレビで観覧することができました。 思えば、花火が大衆文化になったのは、太平の世と言われた江戸時代とされています。 平和の象徴である花火大会が各地で再び開催されるようになり、日本の花火には先人の様々な思いが想いが込められていることを噛み締めながら、夏の風物詩を堪能することができました。 そして、テレビや生配信を見て思ったことは、「花火を観覧する人の顔って、誰もが生き生きとしてとっても良い表情だな〜」ということです(長岡花火には人の心を揺り動かすような“泣ける花火”もありますが)。おそらく、自分が会場で直接観覧したときも同じような表情をしていたに違いありません。来年も、花火大会を楽しむ人々の表情を見て楽しもうと思っています。 |
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2022年8月6日(土) |
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第282話 報いの時 |
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投稿:院長 |
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7月25日、仙台医療センターで開かれた緩和ケア研修会で、昨年、仙台医療センターから当院に紹介され、自宅でお看取りしたある患者さんの在宅医療の様子を発表する機会がありました。 この患者さんは、血液悪性疾患で長期間、化学療法と呼ばれる薬剤治療を受けてきましたが、やがて薬剤の効果がなくなり、在宅緩和ケアを当院で担当しました。 最近は、白血病、悪性リンパ腫、多発性骨髄腫などの血液悪性疾患に対する薬物治療の発展は目覚ましいものがあり、その疾患の特殊性から、患者さんは血液内科専門医の元で長い間治療を受けることになります。 しかし、あらゆる治療に効果を示さなくなったり、薬の副作用や、持病の悪化などから、治療の継続が困難になる患者さんも少なくありません。 この研修会で、本人やご家族が、終末期をどこでどのように過ごすかという意思決定に、医師や看護師の皆さんが、真剣に向き合いながら深く関わっていることを知りました。 そして、病院の方々からバトンを受けた私達は、患者さんの診察を通して、患者さんが自宅で過ごしている時間が、夫婦や親子の絆を再確認し合うという貴重でかけがえのないものになっていることを知ることができました。 そして、自宅で過ごす時が、長くて時には苦痛を伴うような治療に耐え抜いてきた患者さんにとって、今までの苦労に報いるご褒美のような時間だったように思います。 この会で、患者さんは温かな家庭でとても充実した時を過ごされたことを、仙台医療センターの方々に報告することができ、とても良かったと感じました。 コロナ禍にあって、今まであれだけ苦労してきたのだから、最期は自宅で過ごしたい、最期は自宅で看取りたいという要望が非常に高まっているように思えます。 自宅で過ごす時が、今まで頑張ってきた患者さん、支えてきたご家族、患者さんに関わってきた関係者にとって報いの時となるよう、在宅緩和ケアの果たす役割の重要性を改めて考える良い機会になりました。 この会を開催し、発表の機会を与えて下さった仙台医療センターの関係者の方々に感謝いたします。 |
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2022年7月31日(日) |
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第281話 野球の季節 |
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投稿:院長 |
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只今、夏の全国高校野球の地方予選の真っ最中です。私の母校、新潟県の長岡高校は県予選ベスト16で破れてしまいましたが、後輩たちの健闘を称えたいと思います。 患者さんやご家族の中には、元高校球児という方もいて、診察中も野球の話題が欠かせません。 私も、中学校までは野球少年だったので、いつも楽しく野球談義に参加させてもらっています。 先日、お亡くなりになった患者さんのトレードマークは、野球少年のような坊主頭と楽天イーグルスの野球帽で、診察に行くと、息子さんが父との思い出を辿るように、甲子園球場まで親子で応援に行ったこと、楽天イーグルスが初めて日本一になった日本シリーズの最終戦を直に観戦した時の感動など、当時の写真を拝見しながら、話を聞かせてもらうことがとても楽しみでした。 それだけに、楽天イーグルスの2度目の日本一や、高校野球・宮城県代表の初の全国制覇を見届けることなく、突然のお別れとなったことが残念でなりません。 葬儀が終わった後、息子さんからお手紙を頂戴しました。そこには、まだ私達に話し足りなかった野球の思い出がたくさん書かれていました。息子さんにとって、野球を通して父と作った思い出や野球を愛する心が宝物のように心に刻まれていることがよくわかりました。そして、その宝物を共有させてもらったことにとても感謝しています。 これからも、夏の高校野球が始まる頃(この頃になると毎年のように楽天イーグルスの調子が落ちてくるのですが・・・)、楽天イーグルスの野球帽を被った患者さんのことをきっと思い出すに違いありません。 そして、秋には、宮城県代表の初の全国制覇と楽天イーグルスの2度目の日本一を仏前に報告できることを願っています。 |
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2022年7月23日(土) |