仙台市若林区の診療所  やまと在宅診療所あゆみ仙台 【訪問診療・往診・予防接種】


 第269話 新しい看取りの形
投稿:院長

以前、老人施設の多くの入所者は、治療が必要になったら病院に入院し、病院で最期まで過ごすことが当たり前でした。

私が病院勤務をしていた頃、老人施設から入院になった患者さんで、治療で症状は改善したものの、「体力が低下し、歩行が困難になったり、食事が満足に食べられなくなった」という理由で、その施設への再入所を断られてしまい、受け入れ先に困るようなことがたびたびありました。

しかし最近、終末期の患者さんも積極的に受け入れ、看護師が交代で24時間常駐し、「終の棲家」として最期までそこで生活できるホスピスのような役割を果たす老人施設が増えてきました。

当クリニックでも、終末期の患者さんで、介護の負担などで自宅で生活することが難しくなった方が、このような施設に転居となり、私が主治医としてそのまま関わり、看取りをさせていただく機会が増えています。

このような施設の特徴として、それぞれの患者さんに個室が用意され自分の空間として利用できること、感染対策を行いながらご家族のとの面会が許可されていること、調剤薬局と連携し麻薬を始めとした緩和治療薬を積極的に利用できること、お酒などの嗜好品がある場合でも節度の範囲内で持ち込みが許可され、自分のペースで生活できること、などです。

「本当は自宅で最期まで過ごさせてあげたいけれど、介護の負担があってそれが難しい。でも、これ以上病院には入院させたくない」というご家族にとっても安心して患者さんを任せられる場所になっています。

ところで、このような施設に関わるようになって驚くことは、建物がとても立派で清潔感に溢れていること(あゆみホームクリニックの設備投資とは比べものにならないくらい遥かに多くの資金が必要だったでしょう)、どの医療機関でも慢性的に人材が不足し、リクルートに苦労している質の良い看護師が数多く集まっていることです。また、それは当クリニックと連携している訪問看護ステーションにも言えることです。

看護師さんは、良心的で患者さんに対して献身的な方がほとんどですが、なかには、看護師本来の役割よりも自己が優先するあまり協調性を持って仕事をすることが難しい方がいるのも事実で(どの職種にも言えることですが・・・)、一人でもそのような方がいると、現場が混乱し組織としての機能が十分に発揮されません。

訪問診療では、「白衣の天使」と呼ぶにふさわしい看護師さん(訪問診療では白衣を着て働く看護師さんに出会うことは非常に少ないのですが)と出会い、同じ目標に向かって働くことができることが、至福の喜びとなっています。


2022年3月31日(木)

 第268話 再会
投稿:院長

先日、ある患者さんを初めて診察したときのことです。

自宅を訪れてみると、玄関には見覚えのある阪神タイガースのユニフォームが飾られていました。

実は、数年前に私が訪問診療していたある男性患者Hさん(今はお亡くなりになっています)が阪神タイガースの熱烈なファンで、奥さんが今回の患者さんだったのです。

Hさんは進行性の難病を抱えながらも、診察ではいつも礼儀正しく接してくださり、その傍らにはいつも奥さんの姿があり、Hさんにとってそばにいるだけで安心できる存在でした。

室内の雰囲気は当時のままで、Hさんを診察したソファーや病状説明したテーブルがとても懐かしく感じられました。

ベッドの患者さんにお会いすると、当時の穏やかな表情そのままです。ご家族が献身的に介護されている姿も変わっていません。

「ご主人を診察していた医者です。またよろしくお願いします」「こちらこそよろしくお願いします」と和やかな雰囲気で挨拶を交わすことができました。

訪問診療では、出会いと別れの繰り返しです。

患者さんとお別れをするたびに「自分の診療は、患者さんやご家族にきちんと受け入れられたのだろうか?」といつも自問していますが、担当医として2回目の指名をいただくことは、大変光栄なことだとあらためて感じています。

話が変わりますが、あるテレビ番組でインタビューを受けた看護師が、「自分が患者だったら自分の勤めている病院で絶対に治療を受けたくない!」と告白していました(笑)。

医者は、                                   「職員が患者だったら、自分の診療を進んで受けてくれるだろうか?」「自分の家族が患者だったら、自分の診療を進んで受けてくれるだろうか?」「自分が患者だったら、自分の診療は信頼できるものだろうか?」

という視点が常に必要だと思っています。

そして、「自分が歳を取って身体が不自由になった時、こんな雰囲気で暮らしてみたい」と思えるような患者さんやご家族との出会いに感謝しています。

まずは、阪神タイガースが、天国のHさんに熱烈に応援してもらえるような活躍を期待しています!


2022年3月23日(水)

 第267話 母の存在
投稿:院長

在宅医療を通して、母の存在の大きさをあらためて感じています。

ある患者さんは、二人の子供たちの運動会を見るために、治療を受けていた病院を退院し、在宅医療を選びました。

生きることに前向きで、常に明るさを失いませんでした。

退院を心待ちにしていた子供たちは、運動会では、精一杯走って踊って母に成長した姿を見せることができました。そして、家族とたくさんの思い出を作りました。

そして、今まで愛情で優しく包み込んでくれた母に対して、精一杯の恩返しをしました。

ある患者さんは、病気が進んでも、人としての優しさ、落ち着き、尊厳をけして失いませんでした。

お嫁さんに対しても、まるで自分の娘に接するように人として優しく接してくれました。

病気が進んで、安静にしている時間が長くなっても、そこにいてくれるだけで安心できる存在でした。

そんな母に対して、息子さんご夫婦は、今までしてきてくれたことに対して感謝を込めて精一杯の介護をしました。

どんな事があっても、常に自分の味方になり、寄り添い、嬉しいときには一緒に喜び、つらいときは一緒に悲しみ、たっぷりの愛情で包み込んでくれる世界でたった一人だけの母。

人は生まれる前に、母の子宮に包まれ、守られ、育まれてこの世に生を受けます。

在宅医療を通して家族の姿をみていると、胎児の頃から脈々と刻まれてきた母の愛情の深さを感じることができます。父(男)としてちょっと嫉妬を感じなくはないのですが、父とは違った母の愛情です。

在宅医療では、そんな母に対して、不器用でも、皆さんがたくさんの恩返しをする手助けをしていきたいと感じています。


2022年3月15日(火)

 第266話 大義名分
投稿:院長

ロシアのウクライナ侵攻に心を痛めています。

今回、ロシアのプーチン大統領が掲げたウクライナ侵攻の大義名分は「ウクライナに迫害・虐殺されているロシア系住民を開放する」というものでした。

過去を振り返ってみます。

太平洋戦争での日本の大義名分は「欧米に植民地化されたアジアの国々を開放し、日本が中心となって新しい経済圏、つまり大東亜共栄圏を打ち立てる」というものでした。

日清戦争、日露戦争と戦勝国となり、中国戦線で領土を拡大する軍部の暴走を政治の力で抑えることができず、メディアの力を利用して国民が熱狂する中、無謀な戦争に突き進んでいきました。

ナチスドイツが台頭し、ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発した時のヒトラーが掲げた大義名分は「強いドイツ民族の復活させる」というものでした。

第一次世界大戦でドイツは敗戦国となり、多くの領土を失い、多額の賠償金や世界恐慌で国内経済が破綻する中、ドイツ国民の優秀さを説き、巧みな演説と失っていた自信と誇りを取り戻すヒトラーの政策に国民が熱狂する中、ユダヤ人の迫害や戦争に突入していきました。

湾岸戦争が始まった時の米国の大義名分は「テロ支援国家であるイラクの大量破壊兵器を無効にして武装解除する」というものでした。同時多発テロを受けた多くの米国国民の支持を受けて開始された戦争でしたが、結局、両国民に多くの犠牲者を出したにもかかわらず大量破壊兵器は発見されませんでした。

国のリーダーは、戦争する時に必ず大義名分を掲げますが、戦争は他国民だけではなく自国民の犠牲者も避けることができません。国民に求められることは国に統制されてしまったメディアの情報を鵜呑みにすることではなく、リーダーが適切な政治決断をしているのか熱狂ではなく冷静に見守り、声を上げることです。熱狂は時に冷静な判断を犠牲にしてしまいます。

そして、リーダーに求められることは、自国民の利益を守ることはもちろん、国際秩序を守り、あらゆる外交努力を行い、多くの尊い命を犠牲にする戦争を回避する強い姿勢です。

今回のウクライナ侵攻では、必ずしもロシア国民の多くの支持を受けているようには思えません。また、ウクライナに派遣されているロシア兵の戦意の低さも指摘されています。

過酷な環境の中で生活し、国のために勇敢に戦うウクライナの人々に思いを寄せるとともに、国のリーダーが掲げた理不尽な大義名分のために命をかけて戦線に送り出されているロシア兵がどんな心理状態で戦っているのか考えると、とても心が痛みます。

早い戦争の終結を願ってやみません。


2022年3月8日(火)

 第265話 金子みすゞを読む
投稿:院長

大正から昭和のはじめに500編以上の童謡詩を残した金子みすゞの詩に触れる機会がありました。


当時としては珍しく、女性でありながら、自分が感じたことを独特の感性で柔らかな口語体で表現し、当時の文芸誌に掲載されました。


彼女自身は、いつかは自分の詩集を出したいと願っていたようですが、その願いが叶うことなく、昭和5年、26歳で自ら命を断つことになります。


彼女が亡くなった後、日本は戦争の道に突き進むことになり、国威を発揚し、戦意を煽るような勇猛な言葉や歌がもてはやされることになり、金子みすゞの作品は忘れ去られることになりました。


しかし、戦後、出版された文芸誌の中で彼女の作品が再び登場することになり、彼女の詩に心を動かされた人達により、死後50年を経て、ついに詩集が発行されることになりました。


彼女の詩は、戦争という困難な時代の中にも、それを読んだ人たちの心の中でずっと生き続けていたのです。そして、彼女の残した言葉は、今も多くの人の心の中で生き続けています。


特に思い出すのが、東日本大震災後にテレビで放送されていた「ACジャパン」のCMで取り上げられた詩「こだまでしょうか」です。繰り返し流された放送で今も記憶に残っている方が多いと思います。


「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。

「ばか」っていうと「ばか」っていう。

 

「もう遊ばない」っていうと「遊ばない」っていう。

 

そうして、あとでさみしくなって、「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。

 

こだまでしょうか、いいえ、誰でも。

 

CMの最後にテロップが流され、「やさしく話しかければ、やさしく相手も答えてくれる」で締めくくられます。

 

こだまは、自分が発した言葉が反響して戻ってくることを指しますが、それは人間同士にも当てはまり、何気ない一言であっても、人はそれによって傷ついたり、癒やされたりする。そして、その反応は自分にも帰ってくることになります。

 

現実の世界では、人間関係はうまくいかないことも多いけれども、人と人とが通じあえるようになりたい、という詩に込められた彼女の思いは、コロナの流行、国同士の対立や戦争という困難な現代にも通じるものがあります。

 

そして、「私と小鳥と鈴と」も彼女の代表的な作品で、小学校の教科書でも取り上げられて知っている方も多いでしょう。

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速く走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

人だけでなく、この世のものには、すべて何かの価値があり、自分は自分以外の人やものによって存在している。そして、その全てが尊いものであるという彼女の優しさに包まれた詩です。

そして、個人的に好きな詩は「さびしいとき」です。

私がさびしいときに よその人は知らないの。

私がさびしいときに お友だちは笑うの。

私がさびしいときに お母さんはやさしいの。

私がさびしいときに 仏さまはさびしいの。 

基本的に人は孤独で、さびしいと感じるときには、それに気づいてくれたごく親しい人にしか伝わらないけれども、それでも十分でないかもしれない。人にはお釈迦様のような目に見えない慈悲深い大きな存在が自分を見守ってくれていて、自分の苦悩を感じて一緒に寄り添って悲しんでくれていると彼女は考えていたのかもしれません。仏教のことはよく知らなくても、自分の心の中のお釈迦様の存在を考えられたら、もっと人は楽に生きることができるかもしれません。

私自身、1月の体調不良のときは、手を差し伸べてくれたすべての人がお釈迦様のように感じられたものです(笑)。

皆さんも金子みすゞの詩集を読んで、自分のお気に入りの言葉を発見してみてください。


2022年2月28日(月)

 第264話 コロナワクチン接種
投稿:院長

2月に入り、当院でもコロナワクチン3回目の接種が始まりました。


自宅や施設を巡回して接種するので、大規模接種会場と違い、1日で接種できる人数が限られているのですが、コロナ感染症患者が増える中、一般診療と両立しながら早く接種してほしいという要望にどう応えていくか頭を悩ませています。


昨年の1〜2回目の接種は、ほぼ全て土曜日に巡回して行ったのですが、3回目の今回は、接種希望患者がかなり増加し、曜日ごとに診療地域が決まっている患者さんの中で接種券が確認できる方、重症化リスクの高い方、デーサービスなどで外部との交流がある方など、いろいろな要素を考慮に入れて接種するようにしています。


また、老人施設では、施設担当者が患者さんや家族の要望を聞き、早々とすべての患者さんの接種券を取り寄せ、予診票の記入や、接種リストの作成まで速やかにやってくださるところがある一方で、なかなか接種希望者や接種券の確認作業が進まず、当院で患者さんやご家族に直接確認をしなければいけないところもあったりで、対応に差があるのも事実です。


どのような施設であっても、患者さんを自施設に入所させている以上、患者さんの健康管理を一方的に医療機関に委ねてしまうのではなく、患者さんの大切な生活や健康を自分達が預かっているという意識を強く持っていただきたいと思います。


「準備は整っているので、いつになったらワクチンを打ってもらえますか?」

「準備は整っているので、早く接種をお願いします!」


という声(圧力?)が私達を動かすのです。


皆で、コロナ感染症を乗り越えていきましょう!


2022年2月24日(木)

 第263話 人生で輝いていた日
投稿:院長

100歳になったばかりの患者さんを訪問した時のことです。


いつも、「この歳まで生きてしまって皆に迷惑をかけています」と謙遜しておっしゃるのですが、戦争で亡くなられた自身の夫や兄の話題になった時、とても優しくて自分のことを大切にしてくれた夫や兄の思い出について目を輝かせて嬉しそうに話してくださいました。


自室には、ご家族の写真が飾られていますが、患者さんにやさしく微笑みかけてくれているようでした。


「あの時が一番幸せでした」


患者さんのその言葉がとても印象的でした。


今、冬季オリンピックが開催されていますが、選手にとって最高の晴れ舞台です。


オリンピックの出場は、本人の努力はもちろんですが、周囲のサポートなしではとても実現できることではありません。


選手の皆さんが、後で人生を振り返った時、「あの時はとても輝いていて幸せだった」と感じられるよう、精一杯自分の力を発揮してほしいと思います。


私自身の過去を振り返ってみた時、自分が幸せだったと思える瞬間はいくつかあります。


中でも「大学に合格して両親にとても喜んでもらった時(合格したことよりも嬉しかった記憶があります)、「子供の出産に立ち会いこの手に我が子を抱いた時」、「地道な練習の末に参加基準タイムをクリアして出場した憧れのマラソン大会で自分の持てる力を最大限に発揮して完走できた時」、「このクリニックを開業して初めて患者さんのご家族から診察の依頼を受けた時」です。


今月26日に、別府大分毎日マラソンのテレビ中継を観戦しましたが、40代の後半に、かつて自分が走った大会がとても懐かしく、力走している選手の皆さんがとても輝いて見えました。


今は、後から振り返った時に、「訪問診療に携わって本当に良かった」と思える時間を作っていきたいと考えています。


2022年2月17日(木)

 第262話 自分を診る
投稿:院長

医者の不養生と言いますか、年末にかけて非常に多くの患者さんの紹介をいただき、かつてない深夜業務が連続した結果、今まで経験したことのない睡眠障害に陥り、今年に入ってから体調を崩しながらなんとか仕事をしてきました。


このような場合、基本に立ち返り、今まで患者さんに指導していた内容を自分にも応用し、睡眠に悪影響を及ぼす要因をすべて排除するようまずは生活のリズムを整えること、専門医と相談しながら自分に合う薬剤を試してみること(自分の要望も取り入れてもらったので大変助かりました)、日中の診療や夜間に待機業務をしてくださる質の良いドクターを充実させること、患者さんのご家族や各施設に協力を求め、終末期の患者さんが深夜帯に呼吸停止した場合(もちろん緩和治療を施し苦痛なく過ごせている場合となります)はお看取りの時間を朝まで待ってもらうなどして対応しました。


特に、薬物治療は、効果や副反応の出方に個人差があるので、どの薬剤が自分に一番合っているのか試行錯誤の連続で苦労しましたが、その結果、2月に入ってから1ヶ月ぶりに自然に眠ることができるようになり、日中は今まで通り、エネルギッシュに仕事をすることができるまでになりました。


今回の経験を通して、普段、当たり前だと思っていることの大切さや自分の身体の変化に耳を傾ける(自分を診る)ことの大切さを痛感いたしました。また、この仕事を続けていくには様々な方の協力なしではありえないことを改めて感じています。


様々な面で配慮してくださった患者さんやご家族、訪問看護ステーションを始めとする関係者の皆様、とても質の良いドクターを紹介してくださった方々、快く業務に入ってくださったドクターの皆様には、この場を借りて厚く御礼申し上げます。


しかし、私自身ピンチをチャンスに変えるという言葉が大好きですが、私の在宅医療に対するモチベーションは全く落ちておらず、転んでも(眠れるようになっても)たたでは起きません。今回の経験を糧にして、少しでも地域のニーズに応えられるようクリニックの運営体制を安定させるべく着々と手続きを踏んでいるところです。


また、しばらく診療日誌の更新が途絶えてしまいましたが、これも、自分の体調が芳しくないとなかなかできるものではないと強く感じました(笑)。


今後は、まめに診療日誌が更新できるよう体調管理をしながら情報を発信していきます。どうぞよろしくお願いいいたします。


2022年2月11日(金)

 第261話 食育
投稿:院長

患者さんの中には、在宅診療を受けるまで、それぞれの病気のために食事を制限している方が少なくありません。


ある患者さんは、腸の病気のために、しばらく米飯を我慢してきました。


病気が悪化することを懸念して、周囲も食べさせることに慎重でした。


しかし、限られた時間の中で「本人の願いを叶えさせたい」という思いでそれを許可することにしました。


そして、その1週間後に訪問すると、患者さんの表情が今までとは見違えるように生き生きとしており、患者さんにとって炊きたてのご飯(しかも銘柄はコシヒカリでした)の持つ意味を深く感じることになりました。


ちなみに、私が今まで一番美味しいと感じた米飯は、栗原市のマラソン会場で参加者に配られていたササニシキのおにぎりです。


こうして、新潟出身の私と宮城県在住の患者さんとの間で、コシヒカリとササニシキのエール交換ができました。


別な患者さんは、肺や心臓の病気のため、体に負担がかからないよう余分な塩分を制限してきました。


しかし、利尿剤による治療が奏効し、むくみや息切れが改善した頃、患者さんから質問を受けました。


「スルメイカを食べても良いですか?」


今まで数多くの食べ物のリクエストを受けてきましたが、スルメイカは初めてです(笑)。


スルメイカと聞いて、子供の頃、家族で茶の間のテーブルを囲んでスルメイカをむしゃむしゃ食べていた頃の懐かしい記憶が蘇ってきました。


私は、今までの患者さんの苦労や我慢に報いるつもりで即座に許可の返事をしたところ、むくみが取れてくしゃくしゃになった顔がさらにくしゃくしゃになるくらい満面の笑みが返ってきました。


次の診察では「スルメイカを楽しめましたか?」と逆に質問してみるつもりです。


「食育」といいますが、これは、「食事の重要性と楽しさを理解し、健全な食生活を実践できる人間を育てる」という意味で、主に子供に対して用いられる言葉です。


しかし、「生きる力を与えてくれる食事の重要性」も在宅医療の文化として育んでいきたいと思っています。

 


2022年1月25日(火)

 第260話 最悪から最良へ
投稿:院長

先日の診療での出来事です。


途中で尿意を催したため、最寄りのコンビニエンスストアに立ち寄って用足しをすることにしました。


その日は、診療が立て込んでおり、次の訪問先に遅れてはいけないという意識の中、トイレに掛け込みました。


必要な時にすぐに診療道具やボールペンや手帳が取り出せるように、いつもウエストポーチを携帯しているのですが、その日のウエストポーチには、クレジットカード、キャッシュカード、免許証、保険証など貴重品が含まれた財布が入っていました。


こうして、すっきりと用足しを済まして、意気揚々と次の診療先に向かって診察を始めました。


ところが、診療中に携帯しているはずのウエストポーチがないことに気付きました。


「きっと、コンビニのトイレに置き忘れたに違いない・・・最悪だ〜・・・」


そう感じて、診察が終了してから祈るようにコンビニに向かって確認したのですが、ウエストポーチはトイレにはありませんでした。


そこで、落胆しながら恐る恐るコンビニの店員さんに聞いてみると、「あっ、それならお客さんが届けてくれていますよ!」と返事があり、届けられていたウエストポーチを確認してみると自分のものであることがわかりました。


こうして、自分の人生の中でも、「最悪の日」になりかけたのですが、大逆転で「最良の日」の一つになりました。


「銀行からお金を引き出す暇がなくて、財布に51円しか入っていなかったのが良かったのかも・・・」


過去を振り返ってみても、富士山の五合目や空港のロビーにスマートフォンを置き忘れた時も、旅行先でお土産を飲食店に置き忘れた時も、免許証を通勤路に落とした時も、クレジットカードを駐車場に落とした時も、遺失物として届け出てくれた人や関係者のお陰ですべて自分の手元に戻ってきているのです。


日本の治安の良さと言いいますか、日本人の民度の高さには、何度も救われており、日本に生まれて良かったとつくづく感じています。


こんなハラハラドキドキの最良は、今回を最後にしたいものですが、まずは、患者さん宅に診察道具を忘れないように注意しなくてはいけません(これも返還率100%)。


皆さんにも、良いことがありますように。


2022年1月15日(土)

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