第178話 とりあえず寝よう! |
投稿:星野 |
Tomorrow is another day.
これは、マーガレット・ミッチェルの長編小説「風と共に去りぬ」の主人公スカーレット・オハラが様々な困難に遭遇した時にとおまじないように口ずさむ言葉として有名です。
日本語に訳すと「何もかも明日考えよう」「明日はなんとかなるさ」「明日に望みを託そう」「明日は明日の風が吹く」「明けない夜は決してない」などなど、様々な訳し方があり、スカーレット流の建設的な「あとまわし戦略」なのです。
翻訳家・文芸評論家の鴻巣友季子さんによれば、講演会のワークショップの中で、この「Tomorrow is another day.」をある高校生に訳してもらったところ、「とりあえず寝よう」という回答があったそうです。
鴻巣さんは、この「とりあえず寝よう」という言葉は、微笑ましくも、ご自身にはとてもしっくりくる絶妙な言いまわしで感心されたそうです。
そういえば、私も「頭の体操(認知症予防)」で中学校の数学の問題を解いたりしていますが、どうしても答えが出ないとき(負けず嫌いなので回答できるまで絶対に答えは見ない)、一晩寝てから再び問題に向かうとあっさりと問題が解けたりします。
さらに、プライベートや仕事上の問題にぶつかったとき、「どんな説明をしよう?」「どんな接し方をしよう?」「どのように解決を図ろう?」と迷うことが少なくないのですが、こんな時も一晩寝ると、寝ている間にふっと自分なりの解決の筋道が頭に浮かんできたりするのです(悩みが深いと眠れないこともあるのですが・・・)。
というわけで、ある雑誌で鴻巣さんの体験を読んだ時、自分にも重なることが多く「ああこれだ!」と妙に感激したのでした。
ところで、ブログに何を書くか全く思い浮かばなかったときどうするか?
とりあえず寝よう!(笑) |
2020年8月5日(水) |
第177話 生きるかたち |
投稿:星野 |
最近、筋萎縮性側索硬化症(ALS)という神経難病の患者さんに対する嘱託殺人が話題になりました。
この女性は、徐々に進行する病状の中で人工的に生かされていることに悩み、医師に「自殺ほう助」を持ち掛けたとされています。
私自身も、同じような病気の方を複数診察してきましたが、中には、人生で今まさに脂が乗り切った中で発症された方もいます。
そして、私が知る限り、その半数以上は、食べられなくなった時の人工栄養や人工呼吸は望んでいません。
そんな患者さんから感じることは、そうなるまでに精一杯生きよう、そして最期は自然な形でその時を迎えようという意思です。
そして、この瞬間にも、残された時間を大切に誠実に生きていらっしゃいます。
しかし、一方で、人工呼吸や人工栄養を受けながらも、その中で生きがいを見出し、けして生かされているのではなく、精一杯自分らしく生きようとしている方も少なくありません。そして、その姿は家族の生きがいにもなっているのです。
人は同じ病気であっても、生きるかたちは様々です。
もちろん、今の日本で、お金を受け取って薬物を投与したとなれば、けして許されることではありません。
しかし、亡くなった患者さんが、進みゆく病気の中で「望まない人生」「生かされている人生」と感じるようになるまで、彼女の意思がどこまで届いていたのか、何か他にできることはなかったのかと考えています。 |
2020年8月3日(月) |
第176話 私設応援団 |
投稿:星野 |
独居の高齢者が増え、身体が衰えてくるとだんだん生活に支障が出てくるようになります。
独立して実家を離れてしまった子供たちは、親に対して老人ホームへの入所を勧めたりしますが、当の本人は自宅以外での生活を頑なに拒むことも少なくありません。
そんな時、親族から「先生から本人を説得してほしい」と依頼されることがあります。
このような場合、一般的には、老人ホームとか老人施設という言葉を使うことになりますが、特に「施設」という言葉は、「収容される場所」という印象が強いせいか、なかなか好意的に受け入れられません。
そんな私も、かつて、自分の子供たちが言うことを聞かないと「わがままばかり言っていると施設に入れられてしまうよ!」なんて言っていたこともありました・・・。
そこで、ネガティブなイメージが付きまとう「施設」という言葉は使わずに本人に説得を試みることになります。
「リハビリやお風呂が楽しめる“保養所”に行ってみませんか?」 「安心して生活ができる“設備”を利用してみませんか?」 「至れり尽くせりで快適に過ごせる“住宅”に行ってみませんか?」 「皆が助け合って暮らす“仲間”になってみませんか?」
とまぁ、さまざまな誘い文句を駆使してみるのですが、説得する私も内心は「できるだけ住み慣れた自分の家で生活させてあげたい」と考えているせいか、イマイチ本気になれず、説得が成功した試しがありません。
長年自宅で生活してきた高齢者にとって最も快適な生活空間とは、清潔な床や壁、クリーニングが施された寝具、バランスの良い食事ではなく、家族のにおいが染み込んだ柱や畳、窓から眺められる庭の松や花、ちょっと古くなった布団、食べ慣れた茶碗や箸だったりするのです。
ということで、私自身は、老人施設の入所を勧める“施設応援団”ではなく、それぞれの生活を支える“私設応援団”の役目を果たして行きたいと考えています。
「住み慣れた場所で自分らしく生活できるよう、お手伝いさせてもらえませんか?」 |
2020年7月14日(火) |
第175話 愛情表現 |
投稿:星野 |
夫が妻に対して、自分の愛情の気持ちを伝える機会は少ないのではないかと思います。
特に、高齢の方ほど、妻の存在は当たり前になりすぎて、今さらそんな言葉を連想することさえなってしまったか、本心ではそう思っていても本人の前では照れて言えないのです。
しかし、患者さんの中には、妻に対してちょっと変わった言い方で愛情表現される方がいます。
Aさんの診療を行っていた時のことです。
Aさんに向かって「何か趣味はあるのですか?」と尋ねたら、返ってきたのが、奥さんの名前で、さらに「今食べたいものは何ですか?」と尋ねても、これもまた奥さんの名前でした(笑)。
Aさんにとって奥さんの存在とは、自分の中に取り込んでしまいたいくらい大切なものだったんですね。
話が変わりますが、ご自宅でお亡くなりになったBさんの奥さんに、後日、挨拶に伺った時のことです。
そこで、奥さんが自宅でのBさんの様子を私に語ってくださいました。
それは、Bさんが亡くなる数日前、奥さんに向かって感謝の言葉とともに「お前がいてくれれば何も要らない」と話されたそうです。
Bさんにとって奥さんの存在とは、自分の癒しそのものだったのですね。
Bさんの奥さんは、その言葉を胸にこれからも力強く生きていかれるでしょう。
「お前がいてくれれば何も要らない」
男として、こんなかっこいい言葉を一度は使ってみたいものです。 |
2020年7月8日(水) |
第174話 昔の習慣 |
投稿:星野 |
患者さんには、昔、看護師をされていた方もいます。
看護師が、患者さんの状態の推移を記録する温度板というシートがあるのですが、ある患者さんは、自分の血圧、脈拍、体温、体調や便通など細かく記録し、セルフケアに利用されています。
診察では、現役さながら、きれいに書き込まれた温度板を参考にしながら、薬の調整などにとても役立っています。
別な患者さんは、歩行も食事のスピードもとても速いそうです。それは、病院に勤務していた頃、とても忙しく病棟内を歩き回り、少ない休憩時間の中で掻き込むように食事をしていた習慣が今も残っているのです。
私が研修医として外科に配属されていた頃、「緊急の事態にいつでも対応できるよう食事はテキパキと済ましておくように」と先輩医師から言われたことがあります。
私は、今ではその忠告をすっかり忘れ(笑)、食事はゆっくりと時間をかけて食べるようになってしまったのですが、それぞれの患者さんに今でも残るプロ意識にいつも感心しています。
看護師の皆さんが、将来、食べ物を喉に詰まらせないように(?)、ゆっくりと食事ができるような働き方をしてほしいと願っています。 |
2020年7月2日(木) |
第173話 魅せる |
投稿:星野 |
90台で老人施設で生活している女性Sさんの肌が、とてもきれいでびっくりしたことがあります。
それどころか、くりっとして大きな瞳、スッキリと通った鼻筋、小さくて真っ赤な唇・・・今も昔の容姿がイメージできるくらい端正な顔立ちをした方です。
ある日の診療で、施設の職員が「Sさんは、今でも自分でスキンケアを欠かさないんですよ」と、今もSさんが使っているたくさんのスキンケア用品や化粧品を見せてくれました。
話を聞くと、Sさんは昔、某総合病院の受付嬢で、その美貌に数多くのドクターが言い寄ってきたのだそうです。
しかし、Sさんは、軽薄なドクターではなく(?)、ドクター以外の優しい旦那さんと幸せな結婚生活を送られたようです。
今は、認知症が進んだSさんですが、自分を魅せるための習慣や雰囲気は今でもちゃんと残っているのですね。
会えばいつも優しい笑顔で迎えてくれる、そんなSさんにいつも魅せられてしまっている私です。 「Sさん、今度の診察でまた楽しくおしゃべりしませんか?」 |
2020年6月29日(月) |
第172話 ○○科的には・・・。 |
投稿:星野 |
私が総合病院に勤めていた頃のことです。
患者さんが様々な症状を訴えて各科の専門医を受診した場合、その医師の専門領域の病気の有無だけを検査して異常がなければ、「○○の症状の方ですが、○○科的には異常がありません。診察をお願いします」という内容で、私が所属する総合診療科に紹介されてくるケースがたびたびありました。 専門医にとっては、「自分の専門領域の病気だけは絶対に見逃すわけにはいかない」という意識が働き、専門領域だけの検査をするのは当然で、そんな紹介を受けた時は、「自分の腕の見せ所」と感じて診察したことを覚えています。 しかし、ある研修医に対して鑑別診断の指導をしたことがあったのですが、その研修医が数年後に専門医になった途端「○○科的には・・・」という言葉を当たり前のように使うようになっているのを見て、ちょっと寂しさを感じることもありました。
話が変わりますが、ある高齢の女性患者さんを診察していた時のことです。
私が、「どこか痛むところはありませんか?」と聞くと、患者さんが、「内科的には痛みはありません」とお答えになりました。
患者さんにとって私は「内科の医者」で、膝とか腰とかの痛みを訴えるのは失礼だと感じたようです。
「○○科的には・・・」という久しぶりに耳にする言葉を、しかも患者さんから聞くなんて全く予想外でした。
きっと、患者さんが過去に病院を受診して、主治医の内科ドクターに健康相談した時、「内科的には異常がないので、○○科に行って相談して下さい」と言われたことがあるのでしょう。
私は、この患者さんに対して「内科以外の相談でも構わないですよ。外科、眼科、耳鼻科、皮膚科、肛門科・・・○○さん的に気になるところがあったら何でも良いので遠慮なく相談して下さい。あっ、産科と小児科以外でお願いします!」とギャクを飛ばしたところ、患者さんは、「歯科的」に入れ歯が飛び出すのではないかと思えるくらいの大爆笑でした。
お年寄りが見せる屈託のない朗らかな笑顔っていいもんですね〜。この笑顔に「精神科的」にいつも癒されています。 |
2020年6月24日(水) |
第171話 言葉の栄養ドリンク |
投稿:星野 |
最近、すっかり起動が遅くなった私用のパソコンを買い替えました。
そこで、機種よりもまず、ユーザーから評価の高い中古パソコン店を選ぶことにしました。
それは、激しい競争の中で生き残っていくには、ユーザー目線に立って、ほかの店との違いを出して成功している店を選んだほうが、自分のニーズに合ったパソコンを提供してくれると思ったからです。
そこで、起動が早く、しかも、初期設定がしっかりしていて、メカに弱い私でも届いた日から簡単にセットアップできる商品を提供していること、アフターサービスがしっかりしていること、という条件で店を選ぶことにしました。
ネットであれこれと検索していると、東京のある中古パソコン店が目に留まり、「これは間違いない」と感じてさっそく注文して送ってもらうことにしました。
2日後、注文したパソコンが自宅に届き、取り扱い説明書の指示通りにセットアップしたらあっという間に起動し、サクサクと動いてくれるので大満足でした。
数日後、商品レビューを書いて送ったらメールが送られてきました。
そこには涙を誘うような次のような文章が書いてありました(カッコ内は、私の心の中のつぶやきです)。
「開店当時は、わずかな資金と数人のメンバーだけで、小さな事務所で机を並べて、将来の夢を語り合ったのがまるで昨日の事のように思い出されます。」(夢を語り合うっていいな。)
もちろん、商品レビューではこんなに素晴らしいパソコンを安価で提供してくれたこのメーカーに、最高ランクの評価と「言葉の栄養ドリンク」を贈ったのでした。
最近、人を中傷するネットの書き込みが最悪の結果を招いてしまうという不幸な出来事がありましたが、不満足な時は中傷ではなく激励のエール(建設的な提案というヤツです)を贈り、満足した時には称賛の言葉を贈ったほうが、お互いにハッピーな気持ちになれるというものです。
どこかのCMではありませんが、同じ日本人同士、言葉の栄養ドリンクを贈りあって、「ファイトー、イッパーツ」の気持ちでお互いに乾杯したいものですね。 |
2020年6月18日(木) |
第170話 フラッシュバック |
投稿:星野 |
今日も、朝の連続テレビ小説「エール」の話題になってしまいますが、今週のタイトル「家族の歌」の中で、主人公の裕一(窪田正孝さん)の父・三郎(唐沢寿明さん)が亡くなる場面が放送されます(帰宅後にいつもオンデマンドで視聴しています)。
病床で、裕一が眠っている父に向って「父さんはいつも自分の味方だったよね。周りに何を言われてもかばってくれた」と語り掛けた時、テレビ画面に、子供の頃からの父との思い出がフラッシュバックのように次々と流れます。
この場面を見て、亡くなったSさんのことを思い出しました。
Sさんは、とてもぶっきらぼうで、気分が乗らないと鎮痛薬を飲まなかったり、診察を拒否したり、けして「良い患者さん」ではなかったのですが、時折浮かべる愛らしい笑顔や、周囲を喜ばせようと自由が利かなくなった体でトマトを栽培する姿に心惹かれる不思議な魅力を持った方でした。
そんなSさんがお亡くなりになった後、ご家族が挨拶に来てくださいました。そして、「これは父から皆さんに渡すように言われていたものです」とチョコクッキーを差し出されました。そして、その日はバレンタインデーだったのです。
その時、私の脳裏にそれまで一生懸命に生きたSさんとのやり取りがフラッシュバックのように蘇ってきたのでした。
今回、父親としての魅力を余すことなく演じる唐沢寿明さんってすごい!と感じたのですが、人としての魅力を余すことなく伝えてくださったSさんってすごい!と改めて感じています。
テレビでは、裕一に「お前らのおかげでいい人生だった。ありがとな」という言葉を残して三郎は旅立ちます。
人生を終えるとき、家族にそんな言葉を残せたらいいなと感じています。 |
2020年6月13日(土) |
第169話 頑張ることは・・・ |
投稿:星野 |
今月に入り、さまざまなところで自粛が解除され、以前の日常生活が徐々に戻ってきているのを感じます。
そして今月、いよいよプロ野球も開幕します。
患者さんには、年間シートを購入するほどの大の楽天ファンの方がいらっしゃり、ご自宅を訪問すると、球場で撮影されたたくさんの思い出の写真を見ることができます。
あともう少し・・・衰えゆく体の中で、プロ野球の開幕をどれほど待ちわびていたことでしょう!
話は変わりますが、現在放送されているNHK朝ドラの「エール」では、福島県出身の作曲家・古関裕而さんをモデルにしたストーリーが展開されています。
その中で、現在もなお早稲田大学の第一応援歌として学生に力を与え続けている「紺碧の空」の作曲を、応援団長から依頼されるシーンがあります。
応援団長は、作曲に気乗りしない主人公の裕一に向かって、なぜ自分が早稲田を勝たせたいのか、どうして応援歌が必要なのかを涙ながらに訴えます。
自分がけがを負わせてしまったせいで一緒に甲子園を目指していた親友が野球を諦めざるをえなかったこと。その親友の楽しみがラジオで早慶戦を聞いて早稲田の応援をすること。そのために早稲田を勝たせてほしいと伝えられたこと。
応援団長はさらに裕一に言います。「俺はそんとき気づいたとです。野球ば頑張っている人のラジオをば聞いて頑張れる人がおる!頑張ることはつながるんやって!」
この言葉に心を動かされた裕一は、紺碧の空を作曲し、早稲田を勝利に導くのです。
プロ野球は、しばらく無観客試合となるようですが、応援のないスタジアムで、純粋に「野球の音」を楽しむことができるチャンスではないかと考えています。ピッチャーの球がミットに収まる音、打球の音、アンパイヤの声、ウグイス嬢のアナウンス、ベンチからのヤジ、乱闘の怒号?・・・。
プロ野球選手の皆さんには「野球を頑張っている人のテレビを見て頑張れる人がいる!全力プレーは人をつなげるんです!」と声を大にして伝えたいと思います。
古関裕而さんは、野球やスポーツに関連した数多くの楽曲を作曲されています。
早稲田大学応援歌「紺碧の空」 慶応大学応援歌「我ぞ覇者」 高校野球大会歌「栄冠は君に輝く」 巨人軍応援歌「闘魂込めて」 阪神タイガース応援歌「六甲おろし」 スポーツショー行進曲 オリンピックマーチ・・・・。
古関メロディーを聴きながらプロ野球観戦はいかがでしょうか! |
2020年6月8日(月) |