仙台市若林区の診療所  やまと在宅診療所あゆみ仙台 【訪問診療・往診・予防接種】
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 第253話 高齢者のユーモア続編
投稿:院長

前回の「高齢者のユーモア」の続編です。


今月2回めのSさんの診察があり、前回の予告通り「いつも頭が冴えていますね!」と話しかけてみたところ、次のような会話になりました。


Sさん「えっ、いつも物忘ればかりしているようなばあさんの頭が冴えているわけないじゃないのねぇ」

私(Sさんの発言を否定するように)「だって、Sさんのツッコミに僕はいつもやられてばかりですからね」

Sさん「じゃあ、このシワだらけの手を見て下さい。あ〜あ、がっかりよね」

私「がっかりじゃないですよ。同じくらいの歳の方に比べたら若々しいですよ」

Sさん「じゃあ、このシワの数、数えてみて下さい」

私(慌てながら)「えっ、ここで数えるんですか?数えていたらとても診察が終わりません」(あっ、しまった・・・)

Sさん(ニヤリとしながら)「先生は正直ですね」


ということで、Sさんの誘導尋問にまんまと乗せられてしまい、今日も返り討ちに遭うことになりました。


きっとSさんの「脳みそのシワの数」、数え切れないに違いありません。


2021年11月23日(火)

 第252話 高齢者のユーモア
投稿:院長

在宅医療の醍醐味は、なんと言ってもその会話にあります。


時には、漫才のボケとツッコミのような展開になることがあります。


ある高齢の女性患者Sさんとのやりとりです

私「Sさんは、いつも肌が綺麗で若いですね。いつもびっくりしています」

Sさん(ニヤリとしながら)「えっ、まさかね。こんなばあさんが肌が綺麗だなんてねぇ。どうせ、次の人にも肌が綺麗ってうまいこと言っているんでしょ?」

私(うろたえながら)「えっ、肌が綺麗だと言ってるのはSさんだけに決まってるじゃないですか・・・」


Sさんの突然のツッコミにタジタジとなった私の姿を見て周りは大笑いでした。


いつも清楚で凛としているSさんですが、昔は「あなたはとても綺麗だ」と言い寄ってくる言葉の軽い男子をメッタ斬りにしていたのかもしれません。


ということで、Sさんの次に診療したTさんには「背筋が伸びて姿勢が綺麗ですね」と発言を修正することになりました(笑)。


次にSさんを診察するときには、「Sさんはいつも頭が冴えていますね。洞察力とツッコミにびっくりしてしまいます」と話してみようかと思います。


Sさんのツッコミに再び返り討ちに遭ってしまうのか、今から緊張・・・ではなくワクワクしています。


2021年11月17日(水)

 第251話 夫婦の形
投稿:院長

訪問診療では、数々の「夫婦の先輩」に遭遇します。


Kさん夫妻は、二人とも90歳を過ぎていますが、温厚でとても仲がよく、二人の間には穏やかで落ち着いた雰囲気が漂っています。


旦那さんは、奥さんをとても大切にする優しい方で、控えめな奥さんはそんな旦那さんの後をそっとついていくような方です。


先日、私がKさん夫妻に「お二人はとても仲が良いですね」と話したところ、旦那さんから「結婚してから一度も喧嘩したことがないんです」と驚きの返事が戻ってきました。


三浦友和・山口百恵夫妻は、結婚してから喧嘩したことがないことで有名ですが、それを超えるカップルなんですね。


二人を見ていると、互いに相手を尊重し、気づいたことがあったら相手のためにそっと行動しているのです。


夫婦の絆を保つために、そこには多くの言葉は必要ないのです。


Tさん夫妻は、二人とも85歳を過ぎていますが、ご主人に難聴があるため、いつも大きな声で言葉が交わされ、時にはこちらがハラハラするような激しい言葉の応酬になります。


しかし、旦那さんは、ベッドで過ごす奥さんのために、食事や洗濯などの家事はもちろん、妻の薬を管理したり、実はとても献身的に介護されています。


一方の奥さんは、旦那さんの耳代わりとして、電話など家庭の窓口の役割を果たしています。


二人を見ていると、互いに足りないものを補い合い、気づいたことがあったら文句も交えながらはっきりと言葉に出してから、相手のために行動しているのです。


夫婦の絆を保つために、言葉がそのエネルギーになっているのです。


普段の診療では、2週に1回ほど、夫婦で二人暮らしをしている高齢者の自宅を巡回する日があり、実はKさん宅を訪問した直後にTさん宅を訪問する順番になっています。


その雰囲気は、まるで静から動へ変調するベートーベンの交響曲を聴いているかのようですが、かけがえのない二人の間で絶妙なハーモニーが生み出されていることに全く変わりがありません。


11月22日は「いい夫婦の日」です。ある調査によると夫婦円満の秘訣は「我慢」だそうです(笑)。


あゆみホームクリニック仙台では、多くの「いい夫婦」に関わっていることが自慢です。


2021年11月11日(木)

 第250話 本来の姿
投稿:星野

体調を崩してすっかり元気をなくしていた患者さんが、在宅ケアを受けるうちに次第に体調を回復してくる様子を目の当たりにするのはとても嬉しいことです。


特に、体調が悪い間に影を潜めていた口癖が復活した時は感動してしまいます。


活気の低下と食欲不振で紹介されたAさんは、多剤内服による弊害と考えられたため、すべての薬剤を中止し、訪問看護を導入して点滴で経過をみることになりました。


点滴を開始して1週間ほど経過すると、しっかり会話ができるようになり食事も少しずつ増えてきました。


ある日の診察で自宅を訪問すると、ご家族から「昨日はお腹が空いたと言ったんです!」と嬉しい報告がありました。


もともと食べることが大好きだったというAさんですが、ついに発せられた「お腹が空いた」という言葉に、その場で腹を空かしていた誰もが共感し・・・ではなく感動に包まれたのでした。


入院治療を受けて1ヶ月ぶりに退院したBさんですが、退院直後は幼い孫が騒いでいても「子供が騒ぐのは当たり前」と理解を示しておとなしくしていたそうですが、ある日、自宅を訪問すると、ご家族から「先日、孫に向かってうるさいな!静かにしろ!って怒ったんです!」と嬉しい報告がありました。


Bさんは耳が遠かったはず(?)ですが、以前のような厳しい口調が戻ってきたという報告に、その場の誰もが緊張し・・・ではなく笑顔に包まれたのでした。


脳梗塞のため介護を受けるようになったCさんですが、初めて診察した日に息子さんから、「もともとは明るくて冗談が好きな母です」と紹介されました。


ある日の診察で、Cさんを担当する看護師さんから「この間、浣腸をしていたら、肛門、肛門、水戸黄門って冗談を言ったんです!」と嬉しい報告がありました。


肛門から黄門様が現れた(?)という報告に、その場の誰もがひれ伏して・・・ではなく爆笑に包まれたのでした。


ちなみに、茨城県水戸市には、なんと「みと肛門クリニック」が実在しています(笑)。


患者さんが本来の姿を取り戻せるように、あゆみホームクリニック仙台は患者さんにとって「助さん格さん」のような存在であり続けたいと思います。


2021年11月3日(水)

 第249話 怒りの矛先
投稿:院長

日常生活では、様々な怒りの感情が沸き起こってきます。


喜怒哀楽という言葉にある通り、本来、怒りというのは正常な人の感情の動きなのですが、怒りの感情を上手く処理できないと勉強や仕事に集中できないばかりでなく、モチベーションが低下したり、場の雰囲気を悪化させたり、対人関係に悪影響を及ぼしたりして、負の側面が大きくなってしまいます。


怒りが発生しても、その感情を適切にコントロールしようとすることを「アンガー(怒り)マネジメント」と呼び、それを実践することで対人関係をより建設的なものにすることができます。


アンガーマネジメントの具体的な方法には、「6秒待つ」、「怒りを点数化してみる」、「すべきという価値観を捨てる」、「その場から離れる」など、いろいろな方法が挙げられていますが、自分に合う方法を選んでいくことが大切です。


自分自身、感情を害して怒ったことは少なからずありますが、相手を打ち負かすことが怒りの目的になってしまうと、たとえ議論に打ち勝ったとしても、それを引きずり、眠れなくなったり、ストレスを感じながら日々を過ごすことになってしまうので、自分にとってもこの怒りの感情とどう付き合えばよいのか課題の一つでした。


私が過去に一緒に仕事した人の中には、怒りの感情が恨みや憎しみに変化し、他の同僚を巻き込んで自分達にとって都合の悪い同僚や患者さんまでも報復の対象にしたりと、怒りが歪んだ形に発展してしまい、まったく手のつけられない人もいました。


怒りは、そのマネジメントを誤ると、人間関係を壊し、組織を壊し、社会を壊してしまうのです。


カリフォルニア大サンタバーバラ校の中村修二教授は、青色発光ダイオードでノーベル物理学賞を受賞した時の記者会見で、研究の原動力について「アンガーだ。今も時々怒り、それがやる気になっている。怒りがすべてのモチベーションだった。怒りがなければ何も成し遂げられなかった」と述べています。


中村教授のように、怒りを破壊するためでなく、人や社会にとって有益なものにするエネルギーに変えられたならどんなに素晴らしいことでしょう。


感情を害した時、「なんでわかってくれないんだろう?」「何故こんな理不尽な扱いをされなくてはいけないのだろう?」という思いから、怒りの感情が沸き起こってきます。


しかし、どんなに正論を述べたところで、感情的になった時点で、相手が自分のことを100%理解してくれるのはなかなか難しいかもしれないし、「なんで?」とか「何故?」とか被害的な感情にとらわれているばかりでは何も前進しません。


その場で、相手が自分のことをわかってもらえないと感じたら、あえて冷静さを取り戻すまで距離を置くようにしています。


しかし、冷静になった後も価値観が違いすぎて分かり合えそうもなかったら、先に進むために、淡々と自分が今やるべきことに集中します。


先に進むために、たくさんの壁が待ち受けていますが、壁に衝突して傷つきながら進むのではなく、壁に衝突しないよう、まるで渋谷のスクランブル交差点の人混みの中を歩くようなイメージで進むべき方向を定めながら進むのです。


そして、その行き着く先は人にとってより建設的な世界です。


自分の怒りなど、森羅万象(この世に存在するあらゆる物や現象)の中ではとてもちっぽけなものです。


自分が富士山の山頂に立った時のことを想像してみます。透き通るような青い空、眼下に見える雲海や雄大な景色を前にした時に、そんなちっぽけなものにとらわれているのがバカバカしく思えてくるかもしれません。


自分が宇宙飛行士になって宇宙船に乗っている時のことを想像してみます。地平線の彼方に見える太陽や青い地球を目の当たりにした時に、そんなちっぽけなものにとらわれているのがバカバカしく思えてくるかもしれません。 


2021年10月27日(水)

 第248話 鬼は外
投稿:院長

日本語には、自分のことを表す一人称代名詞がたくさんあり、私、僕、俺、わし、あたし、うち、わい、おいら、当方、吾輩・・・など数多くが思い浮かびます。


一方、英語やドイツ語の一人称代名詞は、I、Ichの1語だけです。


どうしてなのでしょうか?


その人の生い立ち、地域による違いはあるのですが、論説「日本語 表と裏」(森本哲郎作)によれば、その理由として、日本人というのは、人を一人の実体としてではなく、社会の中の一人として捉え、世間という人間関係の中で常に自分の立場を意識し、話す相手のよって一人称を使い分けてきたからではないかとしています。


日本のことわざで「渡る世間に鬼はなし」と言いますが、世の中、鬼のように無情な人ばかりでなく、親切で情に厚い人が多く、自分はそんな周りの人に支えられているという日本人の思いを表しているのです。


ちなみに、「渡る世間は鬼ばかり」というドラマがありましたが、「渡る世間に鬼はなし」のことわざをもじって、「相手のことを鬼と思うようになったら、自分もすでに鬼になっているのだ」という戒めの意味が込められているようです。


個人的に、多数の一人称の中で特に目を引くのが、日本には、某(それがし)、己(おのれ)、拙者、不肖、愚生、小生、非才、不才など、自分をへりくだった言い方が昔から存在していることです。


これは、人間関係に気を配り、相手に対し敬意を持って接するという姿勢を強く反映したもので、日本人の美徳の一つと言って良いでしょう。


しかし、逆に、日本人は和を尊重しすぎて、自分の意志をはっきりと伝えることが苦手で、周りのために私情を捨てて自分を犠牲にしてしまうことがよくあります。


例えば、在宅医療でよく経験するのが、介護で迷惑をかけたくないという気持ちが強すぎて、家族にさえ最期まで自宅で暮らしたいという自分の本音が伝えられないケースです。


そんな時、患者さんの本当の気持ちを汲み取って、患者さんから自分の思いを家族に伝えてみるように手助けしています。


自分らしく過ごせる場所を選ぶのに、もう自分をへりくだったりする必要はありません。ちょっと自己中心的になって、「俺はここで過ごしたいんだ!」とはっきり伝えてみましょう。


「渡る家族に鬼はなし」


思いやり溢れる家族はきっと手を差し伸べてくれることでしょう。 


2021年10月19日(火)

 第247話 伝えたい曲
投稿:院長

今月、NHKで2018年にお亡くなりになった西城秀樹さん特番が放送され、オンデマンドで懐かしく視聴しています。


西條秀樹さんは1972年に歌手としてデビューし、来年2022年はデビュー50周年にあたります。ということで、私の人生は西條さんが歌手活動した期間と重なっており、私にとって思い入れのある歌手なのです。


西條秀樹さんといえば、長身と抜群のルックスで、情熱的にラブソングを歌いあげることから多くの女性ファンの心を掴んだと思いますが、子供の頃、テレビの歌番組やCMで毎日のように目にしていたので、今思えば、お茶の間にある調味料のような当たり前の存在だったと思います(実家では茶の間で食事を食べるのが基本でした)。


特番では、デビュー当時からの歌番組、ライブでのステージや、ドラマでの演技の様子が余すことなく放送され、歌詞の一句一句を情熱的にかつ丁寧に歌い上げる歌唱力、観客と一体となった演出、スタイリッシュな衣装、ファンに語りかける絶妙な話術、親しみやすい雰囲気がとても印象的で、あらためて日本の歌謡界が生んだ最大級のエンターテイナーと思いました。


40台後半から、幾度となく脳梗塞を発症し、不自由になっていく身体と闘いながら、デビュー50周年に向かて懸命にリハビリに取り組まれていたと言います。


若かりし頃のエネルギッシュなステージを知る私は、晩年の様子を心が締め付けられるような思いで見つめていました。


西城秀樹さんの最も代表的な曲と言えば「ヤングマン」ですが、50歳を過ぎ、訪問診療でさまざまな人生に関わる私にとって最も心に染みる曲は「ブルースカイブルー」です。


この曲は、西條さんの葬儀で出棺の時に会場に流された曲で、皆に別れを告げるかのような歌声に今も涙が止まらなくなります。


あのひとの 指にからんでいた

ゴールドの指輪を ひきぬき

このぼくとともに 歩いてと

無茶をいった あの日

おそれなど まるで感じないで

はげしさが 愛と信じた

立ちどまることも 許さずに

傷をつけた あの日

ふり向けば あの時の

目にしみる 空の青さ思う

悲しみの旅立ちに まぶし過ぎた空思い出した


いたずらで 人を泣かせるなと

大人から頬を 打たれた

あのひとも 遠く連れ去られ

愛が消えた あの日

少しだけ 時が行き

もう過去といえる 恋の日々を

青空が 連れて来た

もう二度と逢えぬ あのひとだろう

ふり向けば あの時の

目にしみる 空の青さ思う

悲しみの旅立ちに まぶし過ぎた空思い出した

青空よ 心を伝えてよ

悲しみは 余りにも大きい

青空よ 遠い人に伝えて さよならと


どんなに大切な人でも、いつか必ず別れはやってくる。


そんな時、どこまでも透き通った青空に向かって思いっきり泣いてみたい人、おもいっきり叫んでみたい人に是非聴いてもらいたい曲です。


歳を取ると涙もろくなっていけないなぁ・・・。


2021年10月12日(火)

 第246話 枝豆の味は・・・。
投稿:院長

職員のお父さんは、体に障害を抱えていますが、畑で収穫した野菜を知人にプレゼントする優しいお父さんです。


ある日、この職員との雑談の中で「父から、枝豆の収穫をするので畑仕事を手伝ってほしいと頼まれているんですが、なんとなく先延ばしにしているんです」と言われた私は、「早く行って親孝行してあげなさい。お父さん絶対に喜ぶから!」と返答しました。


それから毎日、院長から「畑に行くんだぞ!」と耳にマメ・・・じゃなくてタコができるくらいうるさく言われ続けた職員は、ついに「昨日、父と畑に行ってきました!」と無農薬で育った立派な枝豆を持ってきてくれました。


私が小学校の頃、亡くなった祖父から「一緒に畑に行こう」と誘われていたのに先延ばしにしてしまい、ついに実現できなかった苦い思い出があるので、この職員が親孝行できたことを心から嬉しく思いました。


「親孝行はできる時に行う」ことが大切で、そのタイミングは様々な条件が揃ってはじめて実現できたりします。


今回の畑仕事も、

「一人で収穫するには体力的にきつくなってきた」「立派に育った枝豆を皆に楽しんでもらいたい」「10月になり涼しくなり気候が安定してきた」「食欲と体力のあり余っている子供と一緒に収穫したい」「子供が親孝行しろと口うるさい院長のもとで働いている」という気持ちや条件が揃って実現できたのです。


きっとこの職員は、お父さんと畑で過ごした貴重な時間が大切な思い出となるに違いありません。


実は、私の出身地、新潟県長岡市は枝豆の産地で、茹でた枝豆をざるや皿に山盛りにして食卓に並べたり、家族で長岡花火を観覧するのが基本です。


「枝豆の味は家族の味」


在りし日の自分の家族を感じながら、ざる盛りの枝豆を楽しもうと思います。


そして職員には、これからも畑で親子の絆をどんどん栽培してほしいと感じています。


2021年10月6日(水)

 第245話 孫のような存在
投稿:院長

人の痛み、命、死は、人称性という視点で考えると理解しやすくなります。


例えば、痛みというのは、本人だけが感じるものであり、他人が直接感じることはできません。これを「一人称の痛み」と表現します。一人称というのは自分自身であり、今どのようなことを感じ、考えているのかすべて自分自身の視点で表現されます。


痛みを感じている本人の一番身近な存在(家族など)は、本人の痛みを直接感じることはできませんが、理解することができます。これを「二人称の痛み」と表現します。ここで言う二人称とは、一番身近な立場の人が、愛する人に何を感じ、どう考えて何をしてあげたいのかという視点で表現されます。


一方、全く他人であれば、本人の痛みに対して無関心だったり、知識があったとしても通常はそれを深く感じて献身的に行動するようなことは極めてまれです。これを「三人称の痛み」と表現します。


ノンフィクション作家の柳田邦男さんは、医療者が患者に対してあるべき関係性をこの人称性を使って表現しています。


医療者には、患者に対して自分の家族に寄り添うような二人称の視点が求められますが、思い入れが強くなり過ぎると冷静な判断ができなくなります。一方、医療者には、患者さんの状態を冷静に分析し判断する専門家としての三人称の視点が求められますが、あまりに客観的すぎると、患者さんの思いを診療に反映させるのが難しくなります。そこで柳田さんは、医療者は、患者さんに対して家族のような温かさと、専門家としての知識と技術をバランス良く兼ね備えている「2.5人称の視点」を提唱しています。


私自身、「病院の中でできないことを実現する」ことを診療の目標の一つとして掲げていますが、訪問診療では、2.5人称よりもう少し家族寄りの2.3〜2.4人称の視点を意識しています。


話が変わりますが、当クリニックでは、地域の様々な訪問看護ステーションと連携しながら診療していますが、患者さんの孫の年齢にあたるような若い看護師さんと接する機会が増えました。


ある研究では、高齢者の生きがいの構成要素に孫との交流が挙げられ、孫のいる高齢者のほうが孫のいない高齢者よりも主観的健康感が高いという結果が示されており、孫の存在は、「無限に未来に伸びる自分自身の延長」として気持ちの安定を取り戻す要因の一つとされています。


診療で、若い訪問看護師さんが高齢者に対して献身的に看護している光景を見るたびに微笑ましくなり、つい「孫みたいだな〜」が口癖のようになってしまいました(中には、娘みたいだな〜と感じるベテランも大勢います!)。


若い看護師さんが、患者さんにとって孫の「2親等」のような安心できる存在として大活躍してくれたら・・・と感じています。 


2021年10月1日(金)

 第244話 悠久の時間
投稿:院長

大正生まれのTさんが、1ヶ月の入院生活を経て我が家に退院してきました。


私達は、退院日に合わせてTさんのご自宅を訪問し、初めての診察を行いました。


Tさんは、とても穏やかに私達を迎えてくれました。その柔和な表情は、入院中に食欲が落ちて今も点滴していたとは思えないほどでした。


Tさんの部屋を見渡すと、ベッドの脇には仏壇が置かれ、亡くなったご主人の写真が飾られていました。その優しい表情は、Tさんの退院を心待ちにしているかのようです。


その光景を見た私は、なぜ自宅には不思議な魅力があるのか、最近読んだエッセイを思い出していました。以下は、エッセイ「歌よみの眼」(馬場あき子作)から抜粋したものです。


いなかに百一歳の叔母がいる。いなかは奥会津である。若い日にや山羊を飼って乳などを搾っていたので、山羊小母(めんこばんば)(以下叔母)と呼ばれている。

戦後六十年以上たって農村はまるで変わったが、家だけはまだ今も残っていて、叔母はこの家に一人で住んでいた。(中略)

ほとんどがらんどうの空間の中に平然として小さくちんまりと座っている。「さびしくないの」ときいてみると、なんともユニークな答えが返ってきた。「なあんもさびしかないよ。この家にはいっぱいご先祖様がいて、毎日守ってくださるんだ。お仏壇にはお経はあげないけれど、その日にあったことはみんな話しているよ」というわけである。

家の中はほの暗い隅々にはたくさんの祖霊が住んでいて、いまやけっこうな大家族なのだという。それはどこか怖いような夜に思えるが、長く生きてたくさんの人の死を看取ったり、一生という運命をみとどけてきた叔母にとっては温とい(ぬくとい)思い出の影がそのへんにいっぱいに漂っているようなもので、かえって安らかなのである。

私のような都会育ちのものは、どうかすると人間が持っている時間というものを忘れて、えたいのしれない時間に追いまわされてあせっているのだが、叔母の意識にある人間の時間はもっと長く、前代、前々代にさかのぼる広さがあって、そしてその時間を受け継いでいる今の時間なのだ。(中略)

村の古いなじみの家の一軒一軒にある時間、それは川の流れのようにあっさりしたものではなく、そこに生きた人間の顔や、姿や、生きた物語とともに伝えられてきたものである。(中略)

命を継ぎ、命を継ぐ、そして列伝のように語り伝えられる長い時間の中に存在するからこそ安らかなのだということを、私は長く忘れていた。(中略)

折ふしにこの叔母たちがもっている安らかな時間のことが思われる。それはもう、昔語りの域に入りそうな伝説的時間になってしまったのだろうか。


Tさんのご自宅は、このエッセイの中にあるような田舎の古い家ではなく、仙台市内のマンションですが、Tさんの仏壇のある部屋は、先祖から受け継ぎ、亡くなったご主人とともに歩んできた時を感じさせてくれます。


このエッセイには、昔語りの域に入りそうな伝説的時間とありますが、訪問診療を通してけして伝説的なものではなく、今もたくさんの家庭に息づいているように思えてなりません。


それにしても、Tさんの息子さんは、写真で微笑むご主人にそっくりでした。Tさんは息子さんを通して、長く受け継がれてきた時間を感じているのかもしれません。


私自身、「心霊を怖いと思わなくなるのはいつのことだろうか?(笑)」そんなことを感じながら、得体の知れない時間に追いかけられている毎日です。 


2021年9月24日(金)

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