仙台市若林区の診療所  やまと在宅診療所あゆみ仙台 【訪問診療・往診・予防接種】
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 第283話 夏の風物詩
投稿:院長

8月2日、3日に3年ぶりに開催となった長岡花火を、テレビとYouTubeの生配信で観覧しました。

長岡花火の由来は、1945年8月1日、戦時中に連合艦隊司令長官・山本五十六の故郷である長岡市に起きた米軍のB29爆撃機による空襲に遡ります。翌1946年8月1日、焼け野原になった長岡市で早くも復興祭が開催され、1947年には、空襲で亡くなられた方の慰霊、鎮魂、戦争からの復興、恒久平和への願いを込めた花火大会が復活し、毎年8月2日と3日の2日間、花火が打ち上げられるようになりました。

画家の山下清画伯(1922年〜71年)は、大の花火好きで知られ、1949年に長岡花火を訪れ、代表作の版画「長岡花火」が生まれました。

その版画には、満天の星空に、色とりどりの夜空に咲く大輪の花火と、多くの観客が埋め尽くして観覧する今と変わらない長岡花火の風景が描かれています。

山下画伯は、「みんなが爆弾なんかつくらないで、きれいな花火ばかりつくっていたらきっと戦争なんて起きなかったんだな」というメッセージを残しました。

そして、昨日、3年ぶりに開催となった仙台市の花火大会もテレビで観覧することができました。

思えば、花火が大衆文化になったのは、太平の世と言われた江戸時代とされています。

平和の象徴である花火大会が各地で再び開催されるようになり、日本の花火には先人の様々な思いが想いが込められていることを噛み締めながら、夏の風物詩を堪能することができました。

そして、テレビや生配信を見て思ったことは、「花火を観覧する人の顔って、誰もが生き生きとしてとっても良い表情だな〜」ということです(長岡花火には人の心を揺り動かすような“泣ける花火”もありますが)。おそらく、自分が会場で直接観覧したときも同じような表情をしていたに違いありません。来年も、花火大会を楽しむ人々の表情を見て楽しもうと思っています。


2022年8月6日(土)

 第282話 報いの時
投稿:院長

7月25日、仙台医療センターで開かれた緩和ケア研修会で、昨年、仙台医療センターから当院に紹介され、自宅でお看取りしたある患者さんの在宅医療の様子を発表する機会がありました。

この患者さんは、血液悪性疾患で長期間、化学療法と呼ばれる薬剤治療を受けてきましたが、やがて薬剤の効果がなくなり、在宅緩和ケアを当院で担当しました。

最近は、白血病、悪性リンパ腫、多発性骨髄腫などの血液悪性疾患に対する薬物治療の発展は目覚ましいものがあり、その疾患の特殊性から、患者さんは血液内科専門医の元で長い間治療を受けることになります。

しかし、あらゆる治療に効果を示さなくなったり、薬の副作用や、持病の悪化などから、治療の継続が困難になる患者さんも少なくありません。

この研修会で、本人やご家族が、終末期をどこでどのように過ごすかという意思決定に、医師や看護師の皆さんが、真剣に向き合いながら深く関わっていることを知りました。

そして、病院の方々からバトンを受けた私達は、患者さんの診察を通して、患者さんが自宅で過ごしている時間が、夫婦や親子の絆を再確認し合うという貴重でかけがえのないものになっていることを知ることができました。

そして、自宅で過ごす時が、長くて時には苦痛を伴うような治療に耐え抜いてきた患者さんにとって、今までの苦労に報いるご褒美のような時間だったように思います。

この会で、患者さんは温かな家庭でとても充実した時を過ごされたことを、仙台医療センターの方々に報告することができ、とても良かったと感じました。

コロナ禍にあって、今まであれだけ苦労してきたのだから、最期は自宅で過ごしたい、最期は自宅で看取りたいという要望が非常に高まっているように思えます。

自宅で過ごす時が、今まで頑張ってきた患者さん、支えてきたご家族、患者さんに関わってきた関係者にとって報いの時となるよう、在宅緩和ケアの果たす役割の重要性を改めて考える良い機会になりました。

この会を開催し、発表の機会を与えて下さった仙台医療センターの関係者の方々に感謝いたします。


2022年7月31日(日)

 第281話 野球の季節
投稿:院長

只今、夏の全国高校野球の地方予選の真っ最中です。私の母校、新潟県の長岡高校は県予選ベスト16で破れてしまいましたが、後輩たちの健闘を称えたいと思います。

患者さんやご家族の中には、元高校球児という方もいて、診察中も野球の話題が欠かせません。

私も、中学校までは野球少年だったので、いつも楽しく野球談義に参加させてもらっています。

先日、お亡くなりになった患者さんのトレードマークは、野球少年のような坊主頭と楽天イーグルスの野球帽で、診察に行くと、息子さんが父との思い出を辿るように、甲子園球場まで親子で応援に行ったこと、楽天イーグルスが初めて日本一になった日本シリーズの最終戦を直に観戦した時の感動など、当時の写真を拝見しながら、話を聞かせてもらうことがとても楽しみでした。

それだけに、楽天イーグルスの2度目の日本一や、高校野球・宮城県代表の初の全国制覇を見届けることなく、突然のお別れとなったことが残念でなりません。

葬儀が終わった後、息子さんからお手紙を頂戴しました。そこには、まだ私達に話し足りなかった野球の思い出がたくさん書かれていました。息子さんにとって、野球を通して父と作った思い出や野球を愛する心が宝物のように心に刻まれていることがよくわかりました。そして、その宝物を共有させてもらったことにとても感謝しています。

これからも、夏の高校野球が始まる頃(この頃になると毎年のように楽天イーグルスの調子が落ちてくるのですが・・・)、楽天イーグルスの野球帽を被った患者さんのことをきっと思い出すに違いありません。

そして、秋には、宮城県代表の初の全国制覇と楽天イーグルスの2度目の日本一を仏前に報告できることを願っています。


2022年7月23日(土)

 第280話 慈悲の瞑想
投稿:院長

78日に、安部元首相が選挙応援演説中に銃撃され、お亡くなりになるという痛ましい事件がありました。

銃規制の厳しいこの平和なはずの日本で、政治家が多くの聴衆の前で銃弾に倒れるという信じられない事件にショックを受けました。

安倍元首相の政治手法には賛否両論がありましたが、国内や世界各国から届く数多くの哀悼のメッセージは、安倍元首相の残した大きな足跡を証明するものだと思います。政治家として志半ばで凶弾に倒れられた安倍元首相に対し、心よりご冥福をお祈りしたいと思います。

過去を振り返ってみると、1900年代初頭に、現役の首相が政治信条の違いから過激的な人物に暗殺されるということが度々ありました。

1909年の伊藤博文首相、1921年原敬首相、1936年高橋是正首相、1932年犬養毅首相、1936年斎藤実首相です。

当時は、第一次世界大戦、関東大震災、世界恐慌に端を発する昭和金融恐慌、日中戦争勃発など、日本が今までに経験しなかったような政情不安な時代背景がありました。対して、東日本大震災をはじめとするたび重なる災害、ロシアのウクライナ侵攻と西欧諸国との対立、北朝鮮の不穏な動き、出口の見えないコロナパンデミックなど、人の情緒を不安定にさせるような現在の世情が当時に似通っているようにも思えます。

人の不安を落ち着かせる方法の一つに「慈悲の瞑想」というのがあり、自分の周囲にある全てのものに感謝し、その幸せを願う気持ちを持って瞑想することで、ストレスを軽減させ、幸福感が高まることが示されています。

具体的には、目を閉じ、背筋を伸ばして自分と自分の大切な人の幸せや苦痛からの開放を心の中で唱え続けるのです。

「私と、私の大切な人がずっと幸せでありますように」

「私と、私の大切な人が、嫌なことや辛いことから開放されますように」

「私と、私の大切な人に、楽しいことが訪れますように」

私はこれに加えて、就寝前にベッドの中で、以下のような願いを心の中で唱えるようにしています。

「全ての患者さんが辛いことから開放されますように」

「戦禍の中にある人々が安心して過ごせる日が一刻も早く訪れますように」

最近、すでに放送を終了したNHKの朝の連続ドラマ小説(通称朝ドラ)カムカムエヴィリバディをオンデマンドで視聴しているのですが、このドラマの主題歌の歌詞が、慈悲の瞑想のイメージにぴったりでびっくりしました。

 

君と私は仲良くなれるかな

この世界が終わるその前に

きっといつか儚く枯れる花

今、私の出来うる全てを

笑って笑って 愛しい人

不穏な未来に 手を叩いて

君と君の大切な人が幸せであるそのために

祈りながら sing a song


私の場合は、「祈りながらsing a song」ではなく、「祈りながらgo to bed」なのですが、慈悲の心がすべての人に届くことを願わずにはいられません。 


2022年7月12日(火)

 第279話 徳川家康のような人生
投稿:院長

戦国大名の中で、天下統一に向かった織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人はよく比較されますが、中でも、革新的なことを行った織田信長の人気が一番高いようです。

一方、徳川家康は他の二人に比べて地味で、必ずしも人気が高いとはいえないのですが、戦国大名の中で最後に天下統一を成し遂げたのは紛れもない事実で、最も成功した大名と言えるでしょう。

徳川家康にあって、他の二人にないものを考えると、成功の秘訣がよくわかります。また、何か事業を行うときには徳川家康の生き方というのはとても参考になるのです。

まず、第1に、不遇の幼少時代から彼を支えた家臣団の存在です。家康と苦楽を共にし、家康に対する忠義心の厚さと勇猛さで知られたいわゆる「三河武士団」とは強固な絆でつながっていました。これは家臣の明智光秀に裏切られた織田信長や、農民から下剋上で這い上がった豊臣秀吉にはなかったもので、何か重大な決断を下すときには家臣の意見を尊重したそうです。トップダウンで物事を決めていく織田信長とは最も大きな違いの一つです。

2に、たとえ、自分に謀反したり敵対した者に対しても、咎めることなく登用したことです。かつて敵対した今川氏や武田氏らの家臣団を大量に自分の家臣として取り込み、地元に精通している者に領国経営させることで、混乱なく拡大した領地を掌握することが可能になりました。また、武力だけでなく、知力や政治力に長けた家臣を適材適所に登用することで、徳川政権をより強固なものにしました。江戸幕府を開いてからすぐに将軍職を2代目の秀忠に譲ることができたのも、有能な家臣団なしではありえませんでした。

3に、逆境をもチャンスに変える忍耐力と創意工夫です。豊臣秀吉が北条氏を滅ぼした後、秀吉から、今まで治めていた三河などの5か国から、関東への移動を命じられ、苦労して手に入れた土地を手放さなくてはなりませんでした。当時の江戸は未開拓で湿地帯が多く、人が住めるようになるには相当な土地開発が必要でしたが、江戸城を起点に水路を整備して水運が活発な街づくりをした結果、江戸はその後に世界最大の都市に発展し、今の東京の基盤となりました。

4に、自分の健康管理(食事や漢方薬に精通)に気を配り、当時としては破格の健康長寿(75歳)を実現したことです(ちなみに織田信長は49歳、豊臣秀吉は62歳で亡くなっています)。当時の平均寿命が50歳前後ということを考えると、現在で言えば120歳前後まで生きたことになります。家康は関ケ原の戦いに勝利し、江戸幕府を開きましたが、それだけでは徳川政権はまだ盤石とは言えませんでした。それは、大阪城には、豊臣秀吉の息子、秀頼が豊臣の家督を継いでおり、家康は豊臣の家臣の一人であるという見方もあったためです。しかし、徳川と豊臣の間で政権争いが起こった場合に、豊臣に味方する可能性があった加藤清正、福島忠則、浅野長政らの有力大名(すべて家康よりも年齢がが若い)が、関ケ原の戦いの後、次から次へと亡くなり、大阪の陣の頃には、豊臣に味方する有力大名が一人もいなくなっていました。そして家康自身は、1615年に大阪夏の陣で豊臣氏を滅亡させ、武家諸法度、禁中並公家諸法度を交付し、年号を、150年近く続いた大きな戦乱が終わり、天下が平定したことを表す「元和」と改め、翌1616年に75歳でその生涯を閉じることになります。

ここで、驚くべきことは、大阪の陣では自らも出陣し、天下統一のすべてを成し遂げ、徳川政権が盤石となったことを見届けてから亡くなっていることです。家康がもっと早く命を落としていたら、260年余り続いた江戸幕府はなかったかもしれません。

有名人や知人が道半ばで、病気にかかったり亡くなったりするのを聞くにつれ、家康のように健康で長生きすることが、何か事をなす際に、大きな資本となり、すべての原点になりうるのだと改めて感じています(人の健康を預かっているはずの医師にとって、最も頭の痛い大きな課題の一つです)。

訪問診療では、自宅や施設でお看取りをさせてもらうことも多いのですが、人生やりたいことをやり切って満足な人生だったと振り返ることができる人が少なくありません。そして、そのような方に関わることが、私たちの励みの一つになっています。

いよいよ明日から、あゆみホームクリニック仙台からやまと在宅診療所あゆみ仙台として再出発します。しかし、患者さんが晩年の時を、家で康らか(やすらか)な生活を送っていくことができるよう支えていくというあゆみホームクリニック仙台の理念は継承していきます。どうぞよろしくお願いいたします。 


2022年6月30日(木)

 第278話 嬉しい退院と嬉しくない退院
投稿:院長

現在、仙台市内の病院からいろんな患者さんを紹介されますが、入院している終末期の患者さんで、本人が残り少ない時間を自宅で生活したい、ご家族が患者さんと一緒に生活したい、最期は自宅で看取りたいという意志が強く、退院したら一刻も早く訪問診療に入ってほしいという依頼が少なくありません。

先日、初めて診察した患者さんは、午前中に病院を退院され当日の夜に、ご家族や大勢の親族に囲まれて自宅でお亡くなりになり、あと1日退院が伸びていたら、本人やご家族の希望が叶えられなかったと思うと、その意志に沿うことができて本当に良かったと感じました。

私が病院勤務していた頃は、なかなか退院したがらないお年寄りの患者さんが必ずいて(笑)、どうしたら退院してもらえるか頭を悩ますことが多く、訪問診療に立場を変えた今の状況とは全く異なっていました。

退院したくない患者さんは、退院の話をするといろいろ症状を訴え始めたり大安にしか退院しない(仏滅に退院するなんて絶対にありえない)と主張したり、なかなかこちらが意図したように退院の段取りを進めることができず、手こずることも少なくありませんでした。

ある患者さんは、いびきのうるさい患者さんがたまたま同室に入院した途端に、居心地が悪くなったのか、急に退院の話が進むようになったり、私が地方の古い病院に派遣されていた頃、真夏に病室のクーラーが故障して、看護師さんが「この病院に入院していると熱中症になるから早く退院した方がいいですよ!」と早期の退院を促したこともあったり、今となっては笑い話のような懐かしい思い出です。

また、警察から詐欺の容疑で逮捕状が出ている患者さんが糖尿病で入院した時は、血糖値が安定せずにとても苦労したのですが、退院すると警察に連行されてしまうので、血糖値が安定しないように、実は医療スタッフに隠れて飲食を繰り返していたことが判明したこともありました。このときは、結局、強制退院の手続きをとったため後になって、個人的に恨みを買って報復されたりしないか、しばらく注意して生活しました。

また、やくざの幹部と思しき人が入院した時は、病室に回診すると、個室の入り口にいかつい顔をした子分が睨みをきかせて私の診察を監視しており、親分のために?室内環境にいろいろと細かい注文をつけてきたときはこの先一体どうなる心配したのですが無事に退院が決まった時はとても安心したことを覚えています。

本来、退院はとても喜ばしいことなのに、病院勤務医時代は、退院を望んでいない患者さんを相手にすると、退院できる喜びを一緒になって分かち合えないもどかしさを感じたものですが、訪問診療に関わるようになり、退院して自宅に帰ってきた喜びを一緒に分かち合うことができるようになり(今のところ、また一刻も早く病院に戻りたいという患者さんに出会ったことはありません)、病院勤務医時代に感じていたもどかしさから開放され、やりがいを感じているところです。


2022年6月19日(日)

 第277話 頼もしさとは?
投稿:院長

次男が通学している中学校サッカー部の顧問をしている先生が、生徒や保護者に向けて記載した練習試合のレポートを読む機会がありました。

試合展開、良かった点、課題などが要領よくまとめられ、冷静な試合分析とともに、部員やサッカーに対する愛情や情熱が文面にあふれており、次男は、頼もしくて良い先生に指導を受けているものだと感心しました。

私が研修医の時には、先輩や同僚、看護師から認めてもらいたくて、勉強したばかりの英語を含んだ専門用語をちりばめたカルテを書いたりして、カッコよく見せようとしましたが、実力や行動が伴っていませんでした。

医者に限らず専門家は、時に難しい専門用語や難解な言葉を駆使し、いかに知識があるのか、その分野に長けていて“頼もしい存在”なのかアピールしたがるものです。しかし、結局のところ、どんなに知識や理論で自分を飾ったとしても相手の心に響くものでなくてはなりません(官僚の作った文章を棒読みする政治家の話が心に響いてこないのと一緒です)。

小説家の司馬遼太郎さんは、1989年「21世紀に生きる君たちへ」というエッセイを小学生向けに書き残しています。

司馬さんは当時60代で、誰もが21世紀になってもまだまだ小説家として活躍されているのではないかと考えていましたが、エッセイの中で「私の人生はすでに持ち時間が少ない。例えば21世紀というものを見ることはできないにちがいない」と予言し、その予言通り1996年に急逝され、このエッセイは司馬さんが私たちに残した遺言というべきものになりました。

司馬さんはこのエッセイの中で子供たちに語りかけるように記しています。

「自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにつくられていない。このため助け合う、ということが人間にとって大きな道徳になっている。助け合うという気持ちや行動のもとは、いたわりという感情である。他人の痛みを感じることと言ってもいい。やさしさと言いかえてもいい。やさしさ、おもいやり、いたわり、他人の痛みを感じること、みな似たような言葉である。これらの言葉は、もともと一つの根から出ている。根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけなければならない」

(中略)

「君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、二十一世紀は仲良しで暮らせる時代になるに違いない。(中略) 人間はいつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。男女とも、たのもしくない人格に魅力を感じないのである」

(中略)

「もういちど繰り返そう。さきに私は、自己を確立せよ、と言った。自分には厳しく相手にはやさしく、とも言った。それらを訓練せよ、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されてゆく。そして、“たのもしい君たち“になっていく」

(中略)

「以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていくうえで、欠かすことができない心がまえというものである。君たち。君たちはつねに晴れ上がった空にように、たかだかとした心を持たねばならない。同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない」

この、「21世紀に生きる君たちへ」のエッセイには、「洪庵のたいまつ」というエッセイが併載され、日本に西洋医学を広げ、大村益次郎や福沢諭吉といった多くの有能な人材を育てた緒方洪庵のことを取り上げています。緒方洪庵は、当時、コレラや天然痘が流行し、多くの医師が命を落とす中で、自分の命を顧みずに懸命に治療にあたった人物です。

司馬さんは、その著書の中で多くの武士、大名、軍人、政治家を取り上げてきましたが、自分が身に着けた知識や技術を、他人へのやさしさ、共感、おもいやり、いたわりの気持ちをもって使うことができ、自分で考えて行動し、自己を確立させた頼もしい人物として、最後の最後に緒方洪庵を取り上げたに違いありません。

社会が目まぐるしく変わる21世紀を生き、私自身、司馬さんがこのエッセイを書いた年齢に近づくにつれ、司馬さんが後世に伝えたかったものを強く意識するようになってきました。

そして、残り少ない伸びしろの中で、少しでも頼もしい存在に近づけるよう、努力していきたいと考えているところです。 


2022年6月8日(水)

 第276話 女房の存在
投稿:院長

家に帰ると、常に励ましてしてくれる妻の存在ほど心強いものはありません。

故野村克也さんが、生前に妻の野村沙知代さん(サッチー)のことをしみじみと語っていた言葉を思い出します。

「とにかくサッチーはポジティブで、『口癖はなんとかなるわよ』だった。ピンチの時も『何を落ち込んでいるのよ。何とかなるわよ』だった。実際、なんとかなっちゃうんだよ」

「いつも強気で迷うことなく前へ前へ進んでいく。その生命力の強さが頼もしかった。一度も離婚しようなどと思ったことはないし、その発想さえなかった。こっちは彼女のおかげで悪くない人生だったから、ありがとうと伝えておけばよかった」

サッチーが、一時、世間からバッシングを受けていた時期があり、どうして野村監督が彼女をかばい続けるのか、疑問を感じた方も多いでしょう。野村監督がサッチー騒動の影響で阪神の監督を辞任した時には私もそう思っていました。

しかし、サッチーに先立たれた時の野村監督が見せた表情や、私自身が訪問診療に携わるようになってから、サッチーの大きな存在や役割を理解できるようになりました。

最近、がんと闘いながらも、家族のために台所に立ち続け、心配して弱気になりがちなご主人に対して「しっかり仕事してきなさい!」とご主人を鼓舞し続けた女性をお看取りする機会がありました。

余命を告げられてからも、それを受け入れ、常に笑顔を絶やさず、診察では笑いが絶えませんでした。

だんだんと身体が弱っていく彼女に対して、当初、ご主人はどう接してよいのか、どう介護してよいのか戸惑っていましたが、自宅で妻を看取るという覚悟を決めてから、訪問看護の助けを借りながら、献身的に介護を続け、最期まで介護者としての役割を立派に果たしました。

彼女が亡くなった後、安らかな表情で眠る彼女の傍らで「とにかく明るくて誰でもすぐに仲良くなれる性格だった」としんみりと語るご主人の姿に、サッチーに先立たれた時の野村監督の姿が重なりました。

きっと天国から「あなた、しっかりしないとだめよ!」と見守ってくれているに違いありません。

彼女の意思や遺伝子は、息子さんやお孫さんに受け継がれています。

ご主人には、彼女をがっかりさせないよう、これからも力強く生きていってほしいと心から願っています。 


2022年5月25日(水)

 第275話 愛情ホルモンとの付き合い方
投稿:院長

前回は、脳内の神経伝達物質の中でセロトニンという物質が心の平静を保つために重要と書きました。

しかし、近年、心の癒しをもたらすオキシトシンという脳内ホルモンが注目されるようになっています。

このオキシトシンは、女性が出産するときに陣痛を促進させたり、出産後の母乳の分泌を促したり、子供への愛情(母性愛)を引き出すことが知られていたのですが、近年、母親だけでなく、男女や年齢の区別なく分泌されることがわかってきました。

オキシトシンには、人への親近感を増し、脳の疲れを癒して気分を安定させ幸福感をもたらす働きがあることが知られ「愛情ホルモン」とも呼ばれたりしています。

そして、このオキシトシンの分泌は、@と手をつないだり、体の一部をさすったり、ハグするなどスキンシップを行う、A人に感謝の言葉を伝える、B人と楽しく会話する、C人に親切にする(他利的な行動を行う)など、親密な対人関係を構築する言動の中で促され、相手への愛情や絆、信頼をさらに高めるという効果があります。中でも、スキンシップは最も重要で、背中を優しくなでるタッチケアにより、認知症患者さんの問題行動が減少したり、慢性的な痛みに悩まされている患者さんの症状が軽減したりすることもわかってきました。

在宅医療でも、家族や看護・介護職員の献身ぶりをみていると「オキシトシンが満ち溢れているな」と感じる場面が少なくありません(笑)。

しかし、オキシトシンには負の面も存在します。

相手に対する愛情や信頼が高まれば高まるほど、相手に裏切られた時の心の傷や恨みが大きくなり、時には報復という手段を選んでしまうことがあります。また、最愛の人が亡くなったりすると強い喪失感のために何もできなくなってしまい、最悪の場合、その人の後を追うように亡くなってしまう場合があります。さらに、仲間意識が強くなるほど、そこからはみ出た人たちや価値観の異なる人たちを許せなくなり、差別や偏見、排他意識が強くなってしまうのです

近年、コロナ禍で、家族と会う機会が少なくなったり、仕事で人と直接会って話をするのではなく、リモートワークが増えて、ファックスやメールなどの形式的なやり取りだけで済ますことが多くなり、オキシトシンの恩恵を受ける機会が減ってきています。また、逆に、ネットでのバッシングや集団による個人を標的にしたいじめ、自国第一主義を掲げる指導者が増えてくるなど、オキシトシンの負の側面が表れているな」と感じる機会が増えてきました。

脳科学者の中野信子さんによると、人間は他の動物と比べると、一人ひとりの個体は外敵と戦う力が弱く、逃げ足も早くない、すくに捕食されるような弱い生物で、それを補うために他の人との信頼や絆を高めながら、集団や社会生活を送るようになり知恵を使って生き伸びてきました。

オキシトシンを通して、人はどう生きるべきなのか、私たちはプラスにもマイナスにも働くオキシトシンという脳内ホルモンとどう付き合っていけばいいのか考えなくてはなりません。


2022年5月18日(水)

 第274話 エバーグリーンな心の色
投稿:院長

脳には、複数の神経伝達物資が存在しますが、その中でもノルアドレナリン、ドーパミン、セロトニンは、三大神経伝達物質と呼ばれ、心の働きを司る上で特に重要な役割を果たしています。

ノルアドレナリンは、交感神経を刺激して心身を覚醒する働きがあり、何かに取り組む際、意欲を高めるために重要です。その一方で、ストレスに反応して怒り、不安、恐怖という感情を引き起こします。これらの感情を引き起こすことで、何か生命の危機があった時に、とっさに行動する準備ができ、危機管理の役割を果たしているとも言えますが、過剰すぎると、怒りっぽくなったり、極度に不安になったり感情が不安定になります。

ドーパミンは快楽を司り、報酬系の神経伝達物質と呼ばれています。例えば、金銭や名誉に関連することが満たされると、このホルモンが分泌され、人は快感を感じ、さらに次に向けて意欲を高めることができます。しかし、これが繰り返されると、少しのことではなかなか満足できなくなり、さらに快感を求めて行動が行き過ぎたり、タバコ、アルコール、覚醒剤、ギャンブルなど、その快感を求めて依存的になったりするという負の側面もあります。

セロトニンは、心の平静を保つために特に重要で、「幸せホルモン」などと呼ばれることもあります。特に、セロトニンが分泌されることで、ノルアドレナリンやドーパミンによる暴走をコントロールし、精神的な安定をもらたし、痛みを緩和することができます。

話が変わりますが、今日は、3年ぶりに仙台国際ハーフマラソンが開催され、自分が大会に出ていた時のことを懐かしく感じながらテレビ観戦しました。

最近は、マラソン大会に出ることはなくなりましたが、マラソンというのは、体力面だけでなく、精神状態に大きく影響され、脳の神経伝達物質を使ってマラソンの心理状態を表わすことができます。

例えば、大会を走る前は、やる気と緊張感を保つために、ノルアドレナリンが適度に分泌されなくてはいけません。色に例えると情熱の赤です。

しかし、いざスタートすれば、調子に乗りすぎてオーバーペースにならないよう、セロトニンを適度に分泌させる必要があり、アドレナリンをコントロールしながら心地よいペースに落ち着きます。色に例えると鮮やかなグリーン(新緑)です。

しかし、レースも終盤になり、疲労物質が徐々に溜まってきて、目標のタイムに届かないと感じたり、アクシデントが発生してまともに走れなかったりすると、セロトニンに抑えられていたアドレナリンによるストレス反応という負の側面が出てきたりします。色でいうと赤信号の赤です。

その逆に、終盤まで好調に走り続けて、目標通りにゴールできそうだとわかった時は、ドーパミンによる快楽とやる気が出てきて爽快な達成感を感じながらゴールすることになります。色に例えると透明感のあるスカイブルーです。

しかし、その達成感が病みつきになると、その快楽(スカイブルー)を求めて次第にランニング中毒になっていきます(笑)。

以上、マラソンはスタートしてから、セロトニンを適度に分泌させて、終盤までいかに心の平静を保って自分自身をコントロールして走れるかがとても大切で、これは私達の生活や人生にも同じことが言えます。

実は、自転車、歩行、ジョギング、エアロビクス、咀嚼(規則正しく噛んで食べる)などの規則的な運動(リズミカルな動作)、日光浴、呼気を意識した呼吸法などで、セロトニン神経が活性化しやすくなることがわかっており、セロトニン神経は鍛えることができる!のです。

個人的に、在宅診療にもこれを応用することができると考えており、患者さんがセロトニン神経を活性化させて、「エバーグリーンな生活」が実現できるよう、支えていきたいと思います。


2022年5月8日(日)

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