第277話 頼もしさとは? |
投稿:院長 |
次男が通学している中学校サッカー部の顧問をしている先生が、生徒や保護者に向けて記載した練習試合のレポートを読む機会がありました。 試合展開、良かった点、課題などが要領よくまとめられ、冷静な試合分析とともに、部員やサッカーに対する愛情や情熱が文面にあふれており、次男は、頼もしくて良い先生に指導を受けているものだと感心しました。 私が研修医の時には、先輩や同僚、看護師から認めてもらいたくて、勉強したばかりの英語を含んだ専門用語をちりばめたカルテを書いたりして、カッコよく見せようとしましたが、実力や行動が伴っていませんでした。 医者に限らず専門家は、時に難しい専門用語や難解な言葉を駆使し、いかに知識があるのか、その分野に長けていて“頼もしい存在”なのかアピールしたがるものです。しかし、結局のところ、どんなに知識や理論で自分を飾ったとしても相手の心に響くものでなくてはなりません(官僚の作った文章を棒読みする政治家の話が心に響いてこないのと一緒です)。 小説家の司馬遼太郎さんは、1989年「21世紀に生きる君たちへ」というエッセイを小学生向けに書き残しています。 司馬さんは当時60代で、誰もが21世紀になってもまだまだ小説家として活躍されているのではないかと考えていましたが、エッセイの中で「私の人生はすでに持ち時間が少ない。例えば21世紀というものを見ることはできないにちがいない」と予言し、その予言通り1996年に急逝され、このエッセイは司馬さんが私たちに残した遺言というべきものになりました。 司馬さんはこのエッセイの中で子供たちに語りかけるように記しています。 「自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにつくられていない。このため助け合う、ということが人間にとって大きな道徳になっている。助け合うという気持ちや行動のもとは、いたわりという感情である。他人の痛みを感じることと言ってもいい。やさしさと言いかえてもいい。やさしさ、おもいやり、いたわり、他人の痛みを感じること、みな似たような言葉である。これらの言葉は、もともと一つの根から出ている。根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけなければならない」 (中略) 「君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、二十一世紀は仲良しで暮らせる時代になるに違いない。(中略) 人間はいつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。男女とも、たのもしくない人格に魅力を感じないのである」 (中略) 「もういちど繰り返そう。さきに私は、自己を確立せよ、と言った。自分には厳しく相手にはやさしく、とも言った。それらを訓練せよ、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されてゆく。そして、“たのもしい君たち“になっていく」 (中略) 「以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていくうえで、欠かすことができない心がまえというものである。君たち。君たちはつねに晴れ上がった空にように、たかだかとした心を持たねばならない。同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない」 この、「21世紀に生きる君たちへ」のエッセイには、「洪庵のたいまつ」というエッセイが併載され、日本に西洋医学を広げ、大村益次郎や福沢諭吉といった多くの有能な人材を育てた緒方洪庵のことを取り上げています。緒方洪庵は、当時、コレラや天然痘が流行し、多くの医師が命を落とす中で、自分の命を顧みずに懸命に治療にあたった人物です。 司馬さんは、その著書の中で多くの武士、大名、軍人、政治家を取り上げてきましたが、自分が身に着けた知識や技術を、他人へのやさしさ、共感、おもいやり、いたわりの気持ちをもって使うことができ、自分で考えて行動し、自己を確立させた頼もしい人物として、最後の最後に緒方洪庵を取り上げたに違いありません。 社会が目まぐるしく変わる21世紀を生き、私自身、司馬さんがこのエッセイを書いた年齢に近づくにつれ、司馬さんが後世に伝えたかったものを強く意識するようになってきました。 そして、残り少ない伸びしろの中で、少しでも頼もしい存在に近づけるよう、努力していきたいと考えているところです。 |
2022年6月8日(水) |
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