仙台市若林区の診療所  やまと在宅診療所あゆみ仙台 【訪問診療・往診・予防接種】
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 第245話 孫のような存在
投稿:院長

人の痛み、命、死は、人称性という視点で考えると理解しやすくなります。


例えば、痛みというのは、本人だけが感じるものであり、他人が直接感じることはできません。これを「一人称の痛み」と表現します。一人称というのは自分自身であり、今どのようなことを感じ、考えているのかすべて自分自身の視点で表現されます。


痛みを感じている本人の一番身近な存在(家族など)は、本人の痛みを直接感じることはできませんが、理解することができます。これを「二人称の痛み」と表現します。ここで言う二人称とは、一番身近な立場の人が、愛する人に何を感じ、どう考えて何をしてあげたいのかという視点で表現されます。


一方、全く他人であれば、本人の痛みに対して無関心だったり、知識があったとしても通常はそれを深く感じて献身的に行動するようなことは極めてまれです。これを「三人称の痛み」と表現します。


ノンフィクション作家の柳田邦男さんは、医療者が患者に対してあるべき関係性をこの人称性を使って表現しています。


医療者には、患者に対して自分の家族に寄り添うような二人称の視点が求められますが、思い入れが強くなり過ぎると冷静な判断ができなくなります。一方、医療者には、患者さんの状態を冷静に分析し判断する専門家としての三人称の視点が求められますが、あまりに客観的すぎると、患者さんの思いを診療に反映させるのが難しくなります。そこで柳田さんは、医療者は、患者さんに対して家族のような温かさと、専門家としての知識と技術をバランス良く兼ね備えている「2.5人称の視点」を提唱しています。


私自身、「病院の中でできないことを実現する」ことを診療の目標の一つとして掲げていますが、訪問診療では、2.5人称よりもう少し家族寄りの2.3〜2.4人称の視点を意識しています。


話が変わりますが、当クリニックでは、地域の様々な訪問看護ステーションと連携しながら診療していますが、患者さんの孫の年齢にあたるような若い看護師さんと接する機会が増えました。


ある研究では、高齢者の生きがいの構成要素に孫との交流が挙げられ、孫のいる高齢者のほうが孫のいない高齢者よりも主観的健康感が高いという結果が示されており、孫の存在は、「無限に未来に伸びる自分自身の延長」として気持ちの安定を取り戻す要因の一つとされています。


診療で、若い訪問看護師さんが高齢者に対して献身的に看護している光景を見るたびに微笑ましくなり、つい「孫みたいだな〜」が口癖のようになってしまいました(中には、娘みたいだな〜と感じるベテランも大勢います!)。


若い看護師さんが、患者さんにとって孫の「2親等」のような安心できる存在として大活躍してくれたら・・・と感じています。 


2021年10月1日(金)

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