第352話 オリンピック観戦と自分史 |
投稿:院長 |
パリオリンピックが閉幕しました。 今回も数々の名場面が生まれ、記憶に残るオリンピックになったのではないでしょうか? その一方で、選手村の生活環境の問題 セーヌ川の水質汚染の問題、審判の判定の問題、選手や審判に対する誹謗中傷など数々の問題も指摘されました。 特に、結果に直結するような微妙な判定を下すときは、より慎重に判断してほしいと感じました。 最近は、主観を排除し、より客観的かつ中立的な判定ができるように、採点方式やルールそのものを変更したり、AIやビデオ判定が導入されるようになりましたが、それでもそれを活用するかどうか、その結果をどう判断するかは、審判員に委ねられています。 オリンピックは選手ファーストの大会でなければいけません。 スポーツ競技の頂点(サッカーや野球などの一部を除く)の大会で、あらゆる犠牲を払ってきた選手が最高のパフォーマンスを発揮できるように、判定する側も事前にあらゆる事態を想定し、一度下した判定であっても「審判の権威」を振りかざすのではなく、その場で訂正するような柔軟な対応をしてほしいです(たとえ、それで日本選手に不利な判定に覆ったとしても)。 第266代フランシスコ・ローマ教皇は、説法の中で次にように述べています。 「いかなる時代にも、権威を持つ者は、それがいかなる権威であっても、教会においても、また社会においても、神のためにではなく、自分の利益のために、権利を利用する誘惑に出会いますが、イエスは、本物の権威とは、他者に奉仕するためであって、他者を搾取するためではないと言われています」 私はキリスト教徒ではないのですが、「権威を持つ人ほど、他人の痛みを理解し、他人に奉仕する心が大切にしなさい」というこの教えにはとても共感できます。そしてこれは、宗教やスポーツの世界だけでなく、政治、経済、教育、医療・・・などあらゆる分野に通じる教えです。 しかし、スポーツを愛する者は、どんなに心が熱くなったとしても審判や選手を公の場で誹謗中傷することがあってはいけません。 ちなみに私が若い頃は、日本選手に疑惑の判定が下された時、テレビの前で怒っていたものですが、年月が経つにつれ冷静に観戦できるようになりました。 4年に1度の私のオリンピック観戦は、「自分の角ばったところが徐々に取れて丸くなってきた」ことを確かめられる良い機会なのです。 日本国旗の赤は博愛と活力、白は神聖と純潔を意味するとも言われていますが、赤が丸いのは、人に対して優しく寛大な心を国民に求めているのかもしれませんね。 |
2024年8月12日(月) |
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